フランスを徒歩で300km移動した。カミーノ巡礼の魅力を知る。
私は珍しく不安から悪夢を見ていた。
タイトルを裏切る一行目になってしまったが、これが事実。
旅に出る前の一週間は珍しく緊張しており、パスポートを忘れるとか飛行機に乗り遅れるとかそういう類の嫌な夢を見ていた。
「のろのろ台風」と呼ばれていたあの台風直撃の予報のせいだ。
自称晴れ女でやってきたが、ここまでなのか、、、
私の一ヶ月に及ぶ旅行の予定はスタート以前に出発できないのではないかと本当にヒヤヒヤしていた。
結果的には定刻で飛行機は出発し目的に到着した訳だが、9月に旅行に行こうとすると台風という文字通り「天敵」が現れるのか。今後の教訓にしていこう。
旅の内容だ月に約一ヶ月間、仕事を休んでフランス、スペインに旅にでた。
人生初めてのフランスとスペイン。
一ヶ月行っていたのにパリとバルセロナの目玉観光地には合わせてたったの3日しか滞在していなかった。
なぜなら今回の目的はカミーノ巡礼をする為。
他の言い方だとスペイン巡礼とかコンポーステラ巡礼と言ったりするらしい。
私は「カミーノ」と言い慣れているので以下の文章で「カミーノ」と出てきたらカミーノ巡礼のことだと理解して欲しい。
【カミーノとは】
カミーノとは日本でいうお遍路巡り。
キリスト教にとっての聖地の一つであるスペインの「サンティアゴ コンポーステラ」を目指してスペイン中、ヨーロッパ中にある様々な巡礼路を徒歩や自転車で目指すというものだ。
ルートはたくさんあるのだが、スペインの陽気な雰囲気を歩くより牧歌的なフランスの田舎道を歩いてみたかった私は「ル ピュイの道」というルートを選んだ。パリから電車を乗り継いで半日掛けてスタート地であるルピュイバレーまで行き、翌日から本格的に歩き出すルート。
私はクリスチャンでもなく修行がしたかったわけでもないのでゴールも特に拘らずに歩けるところまで歩くことにした。
私は最終的に330kmの道のりを8キロのバックパックを背負って、雨の日も晴れの日も歩いた。
カミーノ中の一日の流れは
朝6時半 起床
7時 朝食
8時 出発
とにかく歩く
14〜15時 目的地到着
到着後シャワー、洗濯、まったり時間
19時 夕食
21時 消灯
という至ってシンプル。そしてかなり健康的。
泊まるのはフランスではGite(ジット)と呼ばれる山小屋のようなゲストハウスのようなバックパッカーホテルのような所に泊まる。スペインではアルベルゲと呼ばれている。
大きな特徴としては夕食はオーナーの手作りご飯を宿泊者全員でテーブルを囲って食べる。夕飯はフランスの家庭料理で前菜、メイン、フォルマッジ、デザートとコース料理さながらに運ばれてくる。またテーブルの真ん中にはデカンタにワインがたっぷり用意されている。元々は巡礼者をもてなす寄付で成り立っていたものなので、価格も安く宿泊費(食事込み)で15〜30€くらい。
毎回ご飯が楽しみだった。ここで旅人同士の距離もグッと縮まるのでお話したり聞いたりするのもとっても楽しかった。
【カミーノの魅力】
300km以上を自力で歩いて私はカミーノの魅力をびしびしと感じてしまった。
①生きていくのに必要なものは意外と少ないことに気づけること。(サバイバル的魅力。フィジカル面)
②世界は愛のある人がたくさんいることに気づけること。(対人的な魅力。メンタル面)
③豊かさについて考えることができたこと。(内省的魅力。メンタル面)
本当にざっくりだがこのあたりに魅力を感じた。
魅力を言語化するのはとても難しい。
私は帰国して1ヶ月以上経ってやっと文章に残してみようと思ったのだが、どうしてここまで時間がかかってしまったのかと言うと、今までに経験したことの無いほどに旅が終わってしまったことに喪失感を感じていたからだ。たぶん燃え尽き症候群とも言えるレベルだと思う。写真を見返そうとするだけで胸がきゅうーーーとなって苦しくなり、寝る前に目を閉じようとするとフランスの風景、匂い、音などが脳内に浮かび切なくなる夜をしばらく過ごしていた。まるで失恋でもしたかのように。
だから思い出として昇華するのも難しかったこの旅を、文章としてアウトプットすることは難しいし、感じたものが多かっただけに魅力を3つにまとめるのも違和感を感じなくもないが、数ある魅力を厳選してトップ3にあげるならこの3つかなという感じである。
まず①の生きていくのに必要なものは意外と少ないことに気づけること
これは文字通りでしかない。
8Kgのバックパックの荷物のうちの2kgは水分と行動食なので、日本から必要だと思って持って行った荷物は5kgくらいにまとまっている。
これで過不足なく1ヶ月過ごせるのだ。
あったら便利。だけど無くてもどうにかなる。そんなもので日本での生活は溢れているのだと思う。本当に必要なものって意外と少ないのだ。
カミーノの道はとても整備されていて、GPSやGoogl mapなしでも歩けるくらい至る所に道標が書かれており道に迷うこともない。旅人同士のやり取りも当たり前だが対面で行う。iPhoneの役割と言ったら写真を撮ること、時間を見ること。最悪iPhoneなしでも歩ける。デジタルデトックスしたい人にもおすすめできる。
あと必需品といえば「クリデンシャル」と呼ばれる巡礼手帳。これがなければGiteにも泊まれない。巡礼手帳はスタンプラリー的な要素もあり各宿や飲食店でスタンプを押してくれるので、これを集めるのも楽しい。
話が横道に逸れたが持ち物はかなり吟味して持っていった。そんな荷物たちには愛着が湧いて仕方がない。
今後の人生ではしっかり愛着が持てて長く使えるものを買うようにしたいと感じた。
あと私は元々タフな方なので体調不良もなく体のトラブル無く旅ができた。健康な体に産んでくれた母に感謝。体が資本だということも思い知った。健康な体がなければこんなに楽しむことはできなかっただろう。何でも美味しいと思って食べれる好き嫌いのない味覚も大きな味方をしてくれて旅を何倍も楽しむことができた。
そして②の世界は愛のある人がたくさんいることに気づけること。
これは、カミーノに関わらず旅をしている人なら感じたことがある人が多いかもしれないが、カミーノは一味違うと感じた。カミーノのルート上を歩いていれば、大体の人がゴールが同じなので毎日のように顔を合わせることになる人が現れる。また「カミーノ」という共通項目があるのでそこからいくらでも話が広がる。その日の行程が厳しい道のりであったり、美しい景色に出会ったり、ハプニングがあれば、みんなで共有することができる。各々のペースやスケジュールが違っていても出会う人には何度でも出会える。そうして仲間意識が芽生え、国、宗教、性別、年齢に関わらずぐっと距離が縮まるのだ。ちなみに私はカミーノを出発してからゴールするまで日本人どころか、アジア人にすら合わなかった。だから小柄なアジア人女性が大きなバックパックを背負っていると目立つようで、色んな人から存在を覚えられていた。みんな笑顔で「Bonjour」と挨拶してくれる。スペインルートを歩いていると「何でカミーノを歩いているの?」という質問が常套文句だと聞いた。しかし私が歩いた「ル ピュイの道」では「何でこのルートを知っているの?」と聞かれることが多かった。ちなみにフランス国内では一番人気なこのルートは「フランス人もうっとりするほどの絶景が広がっている」と言われている。私はそんな景色が見たくてこのルートを選んだ経緯があった。
なにがともあれ、アメリカ人、ドイツ人、フランス人、イギリス人、イタリア人、オーストラリア人など多くの欧米人と知り合い仲良くなった。かつては世界大戦で敵国同士だった国々が同じ食卓を囲んで愉快な会話を広げる。この世に戦争が無くならないのが不思議なくらいにお互いを尊重し気遣いあい、助け会っていた。日本にいるよりカミーノにいる方がよっぽど平和ボケしてしまいそうなくらいに平和で心地よくて笑顔と愛に溢れていた。大きな声では言えないが財布をその辺に置きっぱなしにしても不安になることが無いし、3人部屋で私以外の2人が男性であっても襲われそうな気配もなかった。カミーノ上の治安はとても良い。あくまでもカミーノ上の話しだが。
「私なんて」と卑下して思う必要がないくらいみんなが対等に交流し、無条件に助けてくれた。
どんな巡り合わせで私たちが出会ったのか、必然的で偶然的な出会いに感謝している。
最後に③豊かさについて考えることができた
について。
カミーノで友達や仲間ができたとは言え、朝出発する時は大体1人だ。
「明日も一緒に歩こー」「ずっと一緒にいようね」なんていう約束はしない。
その辺りの過度な干渉がないのもカミーノのいい所。いくら仲良くなっても自分は自分。私は私。あなたはあなた。
それでも「また会いたいなー」なんて思っている人には不思議なことにどこかで必ず再会できる。
大体朝8時くらいから歩き始めるのだが9月のフランスは日が登るのが遅かった為、朝の10時過ぎくらいまでは早朝のような澄んだ空気感の自然の中を歩くことになる。
その時、頭の中は何も考えていないか、めちゃめちゃ考え込んでいるかのどちらかだ。
何も考えていないときは本当に瞑想状態。
「頭を空っぽにしよう」なんて考えなくてもひたすら歩くだけで何も考えてなくて、心地のいい時間。
気づいたら時間が経っている。
めちゃめちゃ考え混んでいる時は「マインドフルネス」状態。
未来の心配や過去の後悔は全く考えず、現在の自分の感情に集中していた。
そして一番考えていたのが「なんて豊かで贅沢な時間なんだろう」ということだった。
つまり幸せだということ。
辺りは人の気配がなく、聞こえてくるのは自分の足音。鳥のさえずり、葉っぱの擦れ合う音、風の音、教会の金の音。この世界は私のものだと錯覚するほどの静寂な瞬間もあった。そんな時は自分の足音すらうるさく、邪魔な音にすら感じた。そんな時は立ち止まって耳を澄まし、五感を解放するように深呼吸する。このまま時間が止まればいいのに。なんて青臭いことすら恥ずかしがらずに思っていた。そこから時間について考えたりお金の価値について考えたり、カミーノとは切って離すことができない宗教観について考えたり、自分の仕事にも直結している身近なテーマである教育について考えたり、あるようで無い、無いようである答えを導き出すように思考をめぐらせていた。
時々もう少しで真理が見えてきそう、、、と思うのに胸の辺りでつっかえて思考が止まりそうになる時があって涙が出そうになった。
後日談だが、その目の前の答えが晴れない感じがモヤモヤするのが嫌で日本に帰ってきてからは、今まで避けていた哲学の本を読み漁っている。
そして気づく。私は古代の人類が向き合ってきたテーマを知らずのうちに歩きながら考えていたことに。それを30年ちょっとしか生きていない私が300Km歩いただけで答えを出せるわけがない。そんなこんなんで今は哲学にハマっている。
で、幸せについて。
私は幸せと時間の深い繋がりを感じていた。
カミーノにいるこの時間は私だけのもの、どう使うかは私は決めて私が許すのだ。
誰にも支配されていない時間。そんな時間の流れに贅沢を感じていた。
そして豊かさ。
硬水のシャワーで浴びた髪の毛はギシギシ。服は手洗い。化粧もしていない。毎日おんなじ洋服。荷物は重い。
便利とは言えないカミーノ。だけど確かにそこに豊かさを感じた。
手の届くところに自然が溢れて、温かい人との関わり。人からの評価や承認欲求から解放された世界。
そんなところに私が感じる豊かさが眠っていた。
フランスの田舎に行ったことで私の中の豊かさセンサーが目覚めてしまったように感じる。
豊かさについての価値観は人それぞれだから、正しい豊かさがカミーノにあるなんて断言はできないが、少なくとも私にとっての豊かさがそこにあったという話し。
なんとも間抜けな表現に聞こえるが、カミーノの後半は「こんな風に感じ取れる感覚のある自分って幸せ者じゃん。私には私なりの魅力があるのかも」とかなり自己を肯定できりようになっていた。
そんなことを考えたり考えていなかったりすると、知り合った仲間と再会してくだらない話しをしながらまら歩き出す。
これがカミーノの日常。そして魅力だ。
もっと出会った人とかのエピソードとか、ルートや絶景を見たことなど、
細かく書き残したことがあるのだが(何せ1ヶ月滞在しているから)同じ投稿に書くには取り止めのない内容になりそうなので、また別の機会に。
最大トピックとしてはドイツ人男子と過ごしたロマンチックすぎる教会デートなどがあります笑
ただの海外旅行や観光地を巡るだけでは物足りなさを感じている海外旅行好きの方にはぜひおすすめしたいカミーノ巡礼です。
ではまた。
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