【あの日のタイ】2016年の10月13日と14日
前回の続きです
10月13日
数日前から「王様の容態があぶないらしい」というウワサはあって、
王さまが入院している病院のまわりは願掛けをする人たちでいっぱいになっていると聞いてはいた。
※その病院はわたしのnoteでは夫の痔の手術でおなじみのシリラート病院である。
王亡きあとのタイが想像できないだけに、なんだかんだずっと亡くならないんじゃないかと思ったが、やっぱりヒューマンなのでお亡くなりになった。
わたしがその訃報を知ったのは夕方6時半に仕事がおわって帰りのバスを待っているときで、バス停にいたタイ人たちの動揺した様子で何が起きたか察した。
夫の悲しみ具合の想像がつかなかったので一応先に帰宅しているはずの夫(当時は結婚前)にもとりいそぎ電話してみた。
彼の反応はあまり記憶に残っていないがふつうに暗かったと思う。
あの時はタイ全土がショックを受けて、みんなも大事な人に会いに行ったり電話したんじゃないかな?
家に帰ってからは、ずっとそれ関係のテレビを見ていた。
それ関係の特番しかしてなかったし、わたしも見たかった。
わたしが実際にプミポン国王の人柄や功績を知ったのはこのころのテレビが初めてだったかもしれない。
やっぱり人を惹きつけるものがあるお方なので、この日から何日も特番が続いたがけっこう見てて飽きなかった。
10月14日
次の日、外出は黒い服を着た方がいいらしいと言われ、
「タイ人黒い服持ってないやろ」と思いながらも一応黒い服を着て駅に行ったら、
みんな本当に黒だった。
いつも大きな音で流れていた音楽や宣伝が止まり、人々も全然しゃべらず、
駅も車内もシーーーーーーンとしていた。
普段タイでは電車の中で私語を慎みましょうという文化がなく、
電話もOKで、さらになんと動画をイヤホンなしのスピーカーで見ていたりするので、
無音でじっとしている人たちを見て「あんたらこんなに静かにできたんかい!」と衝撃だった。
そんな中、うっかりこんな日にバンコクに居合わせた外国人観光客カップルだけが、虹色の絞り染めのタンクトップでいたたまれない様子で座っていたのが忘れられない。
会社でも、トラブルを避けるためしばらく黒い服を着るようにとおふれがあり、ああ黒い服を買い足さないといけないなあと思った帰りみち、もう黒いTシャツを売る露店が至る所に出没していた。
しょんぼりしながらも、たくましい。
ちょっと、もしかして用意してたんじゃないでしょうね!?と思ってしまう早さ。
わたしはタイ人のこういうところが大好きだ。
この日、公務員はこれから1年間は喪服を続けると発表があった。
ふつうの市民の服装については探り探り空気を読んでいけということだったが、さっそく明るい色の服を着た人をネットで吊るし上げたり、実際にリンチする事件が起きていた。
クローゼットの中にある大半の服がもしかして1年も袖を通せなくなるなんて…
それは誰の得になるんだ?とは口が裂けても言えないあのころであった。
↓は病院からご遺体を王宮にもどすときの様子。すごい人。
夫はこの群衆には混ざらなかったが、やっぱり気持ちが落ち着かなくてバイクで王宮周りを走り込んできたらしい。
暴走族総長が死んだときの見送り方じゃん
とは口が裂けても言えないあのころであった。
つづく