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知らないということを知っておくこと

今朝は資源ごみの日で、
ゴミを出しに、回収場所へ向かうと

初老の小さな男の人が、
回収ボックスの空き缶を漁っていた。

側には自転車。
自転車には、空き缶がパンパンに入った袋がいつくかぶら下がっている。



地域で回収された資源ごみは、地域活動のためのお金に変わる。町内会とか、子供会とか。

私は遠目から、
(これは牽制しなきゃだめなのかなぁ…)
と、思いながらこわごわ近づいていく。



いよいよそばまで来ると、その人の身なりが目に飛び込んできた。

寒いのに、薄い服。ボロボロで、汚れている。
着衣の上からでも、貧弱そうな体つきだと見て取れる。


この地域に、彼よりも貧困の人はいるだろうか?
彼は、今日明日の食事すらままならないのでは?


彼の状況はよく知らない。
地域の誰がどれだけ裕福で、どれだけ経済的に困窮しているかなんて、知らない。
地域活動の詳細もよく知らない。


でも彼のしていることはみんなに迷惑がかかること。


もし私が何かできるとしたら、よくて自分のゴミを差し出すくらいなのか。




昔、思想家のルソーは言ったそうな。

*****

文明がはじまり、まっさらだった土地に誰かが突然、

「ここ俺の土地な!」

と言って旗を立て、自分のものだと主張した。



それから財産の所有が始まった。

残った土地も奪い合いの末、次々と所有者が決まっていき、土地は埋まり、

それがお金持ちと貧乏人の起源となった。

*****


いま豊かな人は生まれながらにそうなのだ、とか
努力できる人にはそれなりの環境があったのだ、とか

そんな極論までは言えないけど、


誰しも人知れず、色んな事情を抱えているから

目に見えるだけを全てだと思わず、
視野を広くもって、想像をめぐらして、

自分が今できることだけを考えて、行動していけばいいのかなと、思った。




今朝の出来事で、レ・ミゼラブルのジャベールの行く末を思い出した。貧困とはまた別のテーマだけど…

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