ある日、職場で言われた言葉。 「あなたはだれのことも悪く言わないよね」 確かに私は、"誰のことも否定したくない"。 子供の頃からのくせで、人に対するネガティブなワードは頭の中で自動変換するようになっている。 遅い→ていねい 雑→合理的 変わり者→個性的 計算高い→頭の回転が速い 言葉がきつい→率直で飾らない … 色々あるけど、なるべく人を否定しないように、気をつけて生きてきた。 悪く言わないね、と言った相手は私を揶揄したつもりはなかったんだけど、自分の中で勝手に焦り
私は本来、人と意見を交わしたり、討論したり、相手と心の交流をしたいタイプ。 それは喧嘩や対立でもなく、 ひとの心の深い部分に入って、いろんな考え方があるんだね〜ということを、ただ知りたい。興味関心。 だから理想としては、 「自分はこう思う」 「これは好き、これは嫌い」 「あなたの考えも知りたい」 と、つね日頃表現できたら最高なのにな〜、と思っている。 でも現実そうはいかない。 これはどこかで聞いたことがあるはなし。 ASDのひとが定型発達のひとに、 「あなたた
今朝は資源ごみの日で、 ゴミを出しに、回収場所へ向かうと 初老の小さな男の人が、 回収ボックスの空き缶を漁っていた。 側には自転車。 自転車には、空き缶がパンパンに入った袋がいつくかぶら下がっている。 地域で回収された資源ごみは、地域活動のためのお金に変わる。町内会とか、子供会とか。 私は遠目から、 (これは牽制しなきゃだめなのかなぁ…) と、思いながらこわごわ近づいていく。 いよいよそばまで来ると、その人の身なりが目に飛び込んできた。 寒いのに、薄い服。ボロボロ
ありのままでいていいんですって。 暗い人には明るい人がフォローします。 無鉄砲な人には慎重な人がフォローします。 繊細な人には豪快な人がフォローします。 取り繕った自分には、ぴったりサイズのとじ蓋が現れません。 その割れ目がいい。それでなきゃ。 「ありのままでね。あなたは、そのままでいてね」 人からそんなこと言われるのは初めてで、驚いた。 絶対に許されるわけないと思ってる自分を、他人が許容してくれた。 そんな人が自分の近くに存在している。 それだけで恵まれ
「自分のやりたくないことはやるな」 かたや、 「嫌なことと向き合い、乗り越えることで人は成長する」 「自分軸で、楽しいことやワクワクすることをしよう」 かたや 「人や社会に貢献することで、自己肯定感が上がる」 「人生は短い、限りある時間を大切に使おう」 かたや 「スタートするのに、遅過ぎる年齢などない」 生き方が分からない私たちは、 先人の知恵を借りて、より良い人生とは何なのかを模索する。 そして得た知識を実践する、でもなかなかうまくいかない。 いろんな人がいて、い
キリンの首はもともと短かったんだって。 でも今は首の短いキリンなんていない。 高いところにある葉っぱが食べたくて、がんばって首を伸ばしたのかな? それともある日突然、首が長めのキリンが生まれて、それがたまたま環境に適していて生き抜くことができたのかな。 たぶん真実は後者だと思うんだけど、 だったら現存してるキリンの首が長いってのは、本当、に偶然の、たまたまだったんだね。 私は思う。 首が長い、以外にもキリンは試行錯誤したんじゃないかと。 首が伸びる前、 やたら
見えるものをそのままに感じてしまう。 解釈をしない。 怒っている人は怒っているのだな、と思う。 喜んでいる人は喜んでいるのだな、と思う。 自分は単純で、嬉しい時に笑ってしまう。 落ち込んでいる時はしゃべれない。 必死に取り繕うとしても、必死に取り繕っていることを悟られてしまう。 自分がこんなんだから、 例えば、悲しさを必死に押し殺してその日を精一杯笑顔でいようと努めている人がいても、 今日はやたら明るいな、としか思えない。 それはどんなに残酷なことだっただろう
ある障害者の方の、この言葉が忘れられない。 震災でのできごとらしい。 車椅子のその人は、避難の際、ビルの上階にいたため、エレベーターが動かず困ったそうだ。 自分は階段が利用できないから避難できない。エレベーターを使うすることはできるけど、今は動かない。だから、自力で避難できない。 避難の方法は他にも考えられる。 例えばそんな時に自分を助けてくれる仲間が3人でも4人でもいたら、車椅子を担いで一緒に避難できただろう。 (その辺の話は私の記憶が曖昧で結局どうだったのかは覚え
「嘘をつくことに慣れた方がいい、もうそろそろ、そういう年齢になっている」 信頼できる人から、そうアドバイスを受けた。 もちろん、そんなことを言われるのは初めてだ。 私は元来、変に正直でいたいところがある。 例えば、私が無自覚に臭かったとしましょう。 すると対面した相手は臭い、と感じる。 その場合、大抵の人は優しさでもって、そのことを私に伝えないでしょう。 ところが私はそのことに傷つくのだ。 自分が臭いと指摘されることよりも、相手に臭いと言わせずに我慢させてしまったこ
怒りについて。 私は怒らない。 自分に対して怒っているから。 私は怒らない。 相手を怒らすのが怖いから。 私は怒らない。 人を傷つけて罪悪感を感じるのが怖いから。 私は怒らない。 誰からも嫌われたくないから。 だからそんな感情忘れていた。 ずっとなかったことにしてたんだけど、ふとした瞬間、思い出して沸いた。 普段は気づかない。けどリラックスしてる時に、ここぞとばかりにチラッと顔を出して私を挑発してくる、怒りの感情。 見たくなくて目を逸らすけど、 棚の奥に、ぎゅう
人が何を考えているのか、思い巡らすのが好き。 なぜあの人はそれが好きなの? あの人のあの癖にはどんな意味があるんだろう? 今の行動、なぜそうしたんだろう? 今日、夫から 「いい加減ハロウィンの飾りをどーにかしたい」 と言われた。 もう10月も終わり、世間ではクリスマス向けてに模様替えする時期だ。 それが11月12日現在でも、我が家の天井にはオレンジや黒を基調としたハロウィンカラーのガーランドが四方八方張り巡らされている。 一応、理由はある。11月中に、小学生の娘が友
自分の気持ちだけを基準に、決断して行動する人生ってどんなに軽やかだろう、と思う。 時々、人のことなんか無視してはちゃめちゃ振る舞ってる自分を妄想して楽しくなる。 ところが、現実の私は違う。 人目だとか体裁だとかが選択基準の一番上にあって、それどころか、もはやそれ自体が自分の意思なんだ、と心の中で言い張ることも。 勇気がない、後悔したくないから人に決めてもらっている。責任負わないって、一時的に楽だよね。でもそれだと自分の心の奥底が満たされないから、ある日クレームが来る。そ
はじめまして。 日常で、はっと思いついたことを整理して書いていきます。 よく人から、「考えすぎないで」とか「そんなこと誰も考えない」とか言われます。 考えることが好きであるし、それが苦しくもあります。が、性分なのでしょうがない。 両面あっての自分なのかなと思います。