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Day17:レンズ越しに見える未来

いやちょっと待って…寒すぎませんか?
これは積もりそう、積もらなくても明日の路面凍りそうな予感がする…。
こういう時、必ず言われる言葉があって、「東北出身だから寒いの得意でしょ?」って言われるけど、ぜんっぜん得意じゃない。こたつでぬくぬくしたい。今日は堕落してこたつと結婚します。こたつ最高。

さて、今日のお題は「私の一番大切なモノ」です。
また書くのに悩むお題が毎日来ますね…。

そうですね、私の中で、「これはずっと手元に置いておこう」って思っているものがありまして。

それは、眼鏡です。

きのうの話の続きになるんですが、震災の日、私はまさか自分の家が流されるとは思わなかったので、持っていたものはケータイだけでした。
そして、私は視力検査の輪っかが頑張って上から2段目が見えるレベルの視力なので、普段はコンタクトをつけています。家にいるときは眼鏡をつけていました。
そう、私の命の次に大事な眼鏡を、家においたままでした。なので、震災の翌日から、私は裸眼で生活していました。今思うと、裸眼で瓦礫でいっぱいのところを歩いていたの、かなり危険ですね。

私のお父さんのしごとは、水道工事をすることでした。なので、家が流されたなんてことは関係なく、震災発生からすぐ、ライフラインを復旧するために働いていました。
「なんで隣の家は水出てるのに、うちは出ないんだ!」
なんて怒られることもかなりあったらしいです。

たまにつかの間の休みがあって、そんな日もお父さんは休むことをしませんでした。仕事が休みの日は、潰れた家から取り出せるものがないか(例えば、金庫や位牌とか)、探す作業をしていました。でも、もしかしたら海にモノは流されているかもしれない。

お父さんが探していたのは、私の眼鏡でした。

潰れた家から、いつもならここに置いてあるはず、と予想して、そこにあるかもわからない私の眼鏡を、ときには自分の家を破壊しながら探していました。

そして、何日間か捜索したあと、潰れた家の下に、私の眼鏡はありました。
土砂でレンズは傷が入っていました。
でも、眼鏡をかけたら、それまでぼやけていた視界が一気にくっきりして見えました。
くっきりして見えるということは、被災状況がはっきりと見えるということでした。

「ちゃんと今の景色をその目で見るんだよ」

お父さんは、この現実から逃げろ、とは決して言いませんでした。ちゃんと見て、辛くても現実受け止めなさい、と。そのために、私の眼鏡を探したのでした。
でも、一番辛かったのは、お父さんだと思います。
わたしよりもずっとずっと長く、この家に住んでいたのだから。

その眼鏡を私は今でも持っています。
もちろん、レンズはそのあと変えてもらったけれど、フレームはあのときのままです。
意外と壊れてなくて、錆びていないという理由でもあるけれど、それが、震災を生き抜いた、そんな証拠になる気がして。


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