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社会人2年目のキャンバス
三連休。
ああ、なんてワクワクする響き。
しかも振替休日と合わせて4連休。なんか申し訳なくなる。
今日は、何も描かれていないキャンバスの話をしようと思う。
私は昔から、時間を目一杯使うのが好きだ。好きだというか、癖だ。小学生の頃の夏休みの宿題といえば、最終日までやっていた。それも、サボってて最後に慌ててやるというより、初日からコツコツじわじわやって、最終日までやるという猛者だ。(自分で言うな)
毎日の宿題だって友達と遊ばない日は平気で3時間かけた。
大学生の頃、自由に使える時間が急に増えた。
何も予定のない日があると、私はとてもワクワクした。さて、この1日をどう使おうか。考えるのが好きだった。それと同時に、なんとなく不完全燃焼な日も多く、夕方にがっかりすることもしばしば。
それもあってあらかじめ予定を入れる日が必然的に増えていた。
ただやっぱり何も予定のない日、と言う存在が私の心に余裕をもたらすことに体調を崩したりしながら気がつき、スケジュールのバランスが重要だということを実感した。
何もない、というちょっと寂しいような殺風景なような状況は、真っ白なキャンバスのようで、私は初め戸惑った。
今までは塗り絵のような模写のような、枠のある、見本のある中で絵を描くように時間を使ってきた。
それが本当に何もない、何をしても良い、真っ白なキャンバスをはいどうぞと渡されたような気分。
コロナ禍もあり、なんとなくキャンバスを持て余すような大学4年間を過ごした。
就活をしていた頃の私が、たくさんの情報に翻弄されていて気がついていなかったことがある。
絵の具や、描きたいイメージ、画法、その全ては日常の中にたくさん溢れていて、私がそれを使って、組み合わせてこのキャンバスを自由に使っていいということ。
たぶん、あの頃の私はキャンバスだけを眺めて、手持ちの絵の具だけを使って、何かが違う、と感じていたのだと思う。
社会人になって、毎日たくさんの情報やデータ、いろんな人の仕事の進め方を見て、ひどく疲れることもあるけれど、なんだか退屈しないな、と思った。
塗り絵でも模写でもなく、私の中でじわじわと描きたい絵のイメージが浮かび上がって来る感覚。一年目こそそんなことを考える余裕も少なかったが、2年目になり、どんどん描きたいイメージが増えた。
キャンバス。あの頃はあんなに真っ白で大きかったのに、今はなんだかひどく小さく感じる時もある。あの時この絵の具やイメージがあれば、と思う日もある。
でも、今だからこそそれに気がつくことができたのかもしれない。
そうそう、休日のこのワクワク感。
さて、このキャンバスをどう使おうか。