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一週間で夜行バス4回乗り継ぎ紀行 第4話


前作を読んでいない方はこちらからどうぞ


私は仙台から夜行バスに乗り、翌朝5時台、東京の新宿へと舞い戻りました。よく大都会を指して「眠らない街」と言うことがありますが、コロナ禍故により一層、新宿駅前は人影もまばらで寂しい光景が広がっておりました。街が眠りから覚めるのを待たずして私は次なる目的地へ向けて移動を開始しました。次の目的地では集合時間が決まっていたので、中途半端に時間を潰さなければなりません。朝食を取った後、途中、岡本太郎の壁画、ロシア・アヴァンギャルドのレリーフ、紀元二千六百年式典の会場建物などを随所で見つつ、最終的に辿り着いたのは西武池袋線の清瀬駅です。


この清瀬駅や隣の秋津駅の周辺には沢山の医療機関が集積しています。国立病院機構東京病院、複十字病院、多摩北部医療センター、日本社会事業大学、国立看護大学校など、行政主導で設置されたものが目立つ他、救世軍清瀬病院など民間の施設も見られます。これら戦前からの歴史を有する医療機関の中でも最も古く、また抜きん出て特筆すべき歴史を持つのが、国立療養所多摩全生園(以下全生園)です。全生園はいわゆるハンセン症患者の隔離施設であり、1909年に東京府が設置したのが始まりです。

全生園以下、清瀬に多くの医療施設が集積しているのは、この地が療養地として優れた環境にあったからです。即ち、この辺りは国木田独歩が著者「武蔵野」で描いた通りの、雑木林が広がる田園地帯だったというわけですね。現在でも、電車に乗ってこのあたりを通過すれば時折田畑が見えますが、目を閉じて昔に思いを馳せれば、古く万葉の世から謳われてきた芒の海に田畑や雑木林が浮かぶ様子が想像できます。国木田は「こんな景色は北海道にも存在しない」と言ったそうですが、私は奈良県民なので、すぐに入江泰吉の言葉を思い出してしまいます。曰く、「大和国原は一面が稲穂の海で、その海の中で小島が散らばるように大和棟の小さな集落や神社の森が点在していた」とのこと。武蔵野や奈良にあらわれていた、人と自然が一体となって織りなす風景。それは確かに存在して、開発によって失われてもなお人々の心の中に残り続けたものだと思います。しかし、高度経済成長期とバブル期を経た日本人はいよいよその心さえ失いつつあると言えるでしょう。いや、となりのトトロを見れば一挙に武蔵野の風景を知ることができる!!…話がどんどん逸れて収拾がつかなくなっていますが、そんな感じで東京近郊にも関わらず周辺人口が少なく、なおかつ江戸時代まで入会地だった雑木林を容易に買収(接収?)することができた武蔵野は、療養地としてもってこいの場所でした。その一角の清瀬に全生園ができると、周辺に結核病棟が居並ぶようになり(まさにトトロで描かれた世界)、戦前から今日に至るまで徐々にその数を増やしてきました。


〜お知らせ〜
全生園・国立ハンセン症資料館の感想については、この記事では一旦ここで打ち切り、後日別の記事を立てたいと思います。あしからず
〜以上〜

豊かな緑


全生園・ハンセン症資料館から色々見て回って、すっかり日も沈んだ後、第1話で登場した“仙人"なる高校の同級生と、加えてITテクノロジー開発者で学生起業家の同級生との3人で夕食を食べに行きました。その力の源泉である塾講師のバイトを卒なくこなす仙人に、都会の喧騒をものともせず慣れた手つきで外車を転がす起業家。ぬくぬく実家暮らしの私と異なり、彼らは大都会の中で充実した日々を送っていました。

思い出話に花を咲かせたのも束の間、この夕食会は第1話で仙人と会ったときに急遽決まったことだったので、当初の旅程にはありませんでした。その関係でバスを横浜発で予約していましたから、後ろ髪に惹かれる思いで夕食会を後にしました。カオスな地下鉄駅を経て横浜へ。東海道線の快速に乗ったんじゃないかと記憶しておりますが結構速いですね。なるほど京急が必死になって速度を出している理由がわかりました。

カオスな地下鉄駅の様子


翌朝、やはりまだ暗いうちに名駅に降り立ちます。名古屋では、特別何かをしようという予定を一切立てていませんでした。流石に体力的に厳しくなるかと思ったので、予め休養日を設定しておいたというわけです。そもそも旅行自体が休養じゃないの???どういうこと???と疑問を抱いたそこのあなた、私もそう思います。まぁ余裕のない旅程に少しでもゆとりを持たせたかったのです。しかし、特に疲れていたわけでもなかったので、なんとなく名古屋版明治神宮というイメージがある(俺だけ?)熱田神宮を参拝した後、博物館明治村に行くことにしました。


鋭い人は気付いたかもしれませんが、偶然にも文化の日(旧明治節、明治天皇誕生日)に明治村に行くという快挙を達成しました。全ての建物に日の丸を掲げる特別仕様になっていました。宇治山田郵便局だけ補修工事中でしたが、構内は思ってたより遥かに広く、見応えも充分であり、時間が足りませんでした。いや〜面白かった…と言いたいところですが、実際に旅行してからこのnoteを書くまで半年が経過した上、1ヶ月ほど前に大規模改装のため長期休業となる江戸東京博物館に駆け込みで行ったこともあり、明治村の展示内容をあまり覚えていません笑。東海地方は一度本腰を入れて旅行したいと思います。その時は犬山城と明治村に丸一日充てる必要がありそうです

明治村で最も有名な建築は、恐らく帝国ホテル本館でしょう。第1話で登場した自由学園明日館と同じ、フランク・ロイド・ライトの設計です。相変わらずの低い天井ですが、明日館では抑制的だった装飾が、帝国ホテルではこれでもかと作り込まれていました。これまた第1話で登場した迎賓館赤坂離宮もそうですが、このような装飾だけ見ても、近代国家としての体裁を整えなければという必死さが伝わってきます。しかし、言わずもがな外国人向けのホテルである帝国ホテルでこんなに低い天井にして良かったのでしょうか。

名古屋に戻り、既に営業を終了した名古屋城を尻目に、明治から昭和に飛んで、帝冠様式のメッカと言える愛知県庁に名古屋市役所、名古屋の象徴である見事な100m道路と、マニアックなんだかポピュラーなんだかよくわからない名所を歩きつつ、次のバスを待ちます。しかし、すっかり日も沈んだにも関わらず、次のバスの発車時刻までまだ6時間以上あって、何をしようか迷ってしまいます。とりあえず美味い飯にありつきたいということで、夕食は名古屋名物きしめんを食べましたが、はっきり言って大して美味しくなかったです笑。無礼を承知で言うと、小学校の給食を思い出してしまいました。これはもう舌の違いなんでしょうか。関西人は迂闊に他所でうどんとかを食べない方がいいかもしれないですね。値段高かったのに…

ギリギリ撮影可能な時間帯でした



食事を済ませた後、私は確実に時間を潰すため、名駅の目の前にある映画館で007の最新作を見ることにしました。6代目ジェームズ・ボンドであるダニエル・クレイグの最終作となる「007ノー・タイム・トゥ・ダイ」ですね。日系アメリカ人のキャリー・フクナガが監督を務めているためか、随所に日本っぽさを感じさせる演出が散りばめられていました。「007は2度死ぬ」以来の日本贔屓作と言えそうです。そう考えるとあの結末は数十年越しの伏線回収と言えないこともないですね。そんなこんなで、あゝボンドよ…!と思いを馳せつつ夜行バスに乗り、次なる目的地へと向かいました。

次回へ続く

0日目
(夜行バス泊)
1日目
東京観光
(先輩宅泊)
2日目
東京観光
同級生宅見学
バス移動
(いわき市のホテル泊)
3日目
夜ノ森駅・大野駅周辺視察
高田松原津波復興祈念公園見学
陸前高田市街地視察
(夜行バス泊)
4日目
ハンセン症資料館見学
同級生と会食
(夜行バス泊)
5日目
名古屋観光
明治村見学
(夜行バス泊)

続く

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