書評:夏目漱石『道草』
夫婦のすれ違いの根本にあるものとは?
漱石の『道草』は私にとっての漱石No.2に君臨する作品だ。
とはいえ、読んだのは学生時代のことで、今ではストーリーや登場人物のことは覚えていない。すれ違いを繰り返すある夫婦を描いた作品であったと記憶している限りである。
しかしながら、本作が提示した人間心理の問題は今でも鮮明に覚えているのだ。
本作において印象的だったのは、夫婦が何故にすれ違うのかという点が、人間の心理やエゴイズムを描き続けた漱石ならではの精巧な描写で描かれている点であった。
例えば、以下のような具合だ。
夫は、「妻が優しい態度で私を迎えてくれさえすれば、こちらも打ち解けて可愛がってやるのに」と妻の愛想なさを心の中で批判する。
細君は細君で「夫が優しく声をかけてくれさえすれば、こっちも温かく接してあげるのに」とこれまた心の中で夫の冷たさを批判をする。
そして、共に内心で相手を責めている状況のため、激しい言い争いが起こることなく、冷めた人間関係が淡々と継続する状態になっていく。
ここに見られるのは、「互いに歩み寄りの第一歩を相手に求める」という、言わば「相手依存性」のような性格だ。
ある2人の人間関係が共にこうした性格の持ち主同士によって築かれなければならない場合、側から見れば関係改善の方法は至ってシンプルだ。
「自分から優しさを示そう」である。
しかし、プライドが許さずにこれができない性格や、そもそもこんなシンプルなことに気付くことすらできない程に頭から相手の非を疑って止まない性格の持ち主が、世の中には何と多いことか。
仮に側からこのことを指摘されても、この種の性格の持ち主にとっては非常に受け容れ難い努力が求められるように思えてしまうのだ。
「わかっちゃいるけど変えられない」というひねくれ方をしている性格であればまだ救いはある方かもしれない。より厄介なのは、この手の性格の人間においては得てしてそうした自身が孕む「相手依存性」「原因を他人のせいにする」という「癖」を自覚することすらできないという場合にあるだろう。
故にこの種の性格は、その持ち主が人間関係を構築していくあらゆる場面で強烈な足枷となってしまうのだ。
ところで当の私はというと、正直、人間関係構築する能力には正直自信がなかった。いわゆる人見知りだった。友人を作ること、友人関係を継続させることが苦手だった。恐らく私は、どちらかというと弱く、自己中心的な人間だったと思う。
であるが故か、本作から読み取られた夫婦のすれ違いの原因は、私のような読者に「自省」というものを強烈に強いてくれた。
正直なかなか改善できるものではないが、人に一声かける時にも、人と険悪になった時にも、今でも必ず思い出すのが『道草』だ。
「こちらから挨拶しよう」「こちらから謝ろう」、毎度毎度相当のエネルギーをかけなければできないことだし、仮にできてもうまくいくとは限らないが(例えば無愛想な顔で返事してくる人や、無視する人だって世の中には沢山いるのだ)、こんな単純な勇気、依怙地と見栄を捨てた他人との付き合い方等を教えてくれたのは漱石に他ならない。
漱石の作品の中でもトップクラスに私を鞭撻してくれた作品だ。
読了難易度:★★☆☆☆
すれ違いの本質指摘度:★★★★★
ある特定の性格の読者(私)を強烈に鞭打つ度:★★★★★
トータルオススメ度:★★★★☆(←私みたいな人ばかりではないため)
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