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幽刃の軌跡 #55

第55話:真夜中家、祖父との対話

朱留は京都から、祖父のお墓がある六甲山麓の霊園へと向けて車を走らせていた。助手席には父の守(まもる)、後部座席には母の真理子(まりこ)が座り、三人だけにしては広すぎるワンボックスカーでゆったりと進む。もともとこの車は朱留の姉のために購入されたものだった。姉は東京に嫁ぎ、今では年に三度ほどしか帰省しないが、最近孫も生まれて一家で帰省することが多くなったため、両親はいつでもみんなで移動できるよう、この車を選んだらしい。守は「俺も孫の顔が見たいから、せっかく車を買ったんだし、できるだけ帰ってきてもらいたいよな」と笑顔で語り、真理子もうれしそうにうなずいている。


車内での和やかな雰囲気の中、朱留がふと問いかける。 「じいちゃんが研究してた仏教って、どんなものだったんだろう…」


守は少し考え込むようにして答えた。 「真言密教だったと思う。じいさんは生前からこの灘区長峰の霊園を指定していたんだよ。俺たちは京都に近いほうが楽だから、説得してみたんだけど、絶対にここだって譲らなかった。師匠からのすすめがあったらしくてな…」


「真言密教か…。確かに、家に来てた人たちが仏壇の前で唱えてたのが、よく聞く南無阿弥陀仏じゃなかった記憶がある」と朱留も記憶をたどる。


真理子も少し困ったように笑いながら言った。「そうなのよ、密教って複雑でね。私も何度か話を聞いたけど、あまりよくわからなかったわ」


やがて、神戸に到着。車は国道43号線から北上し、阪神沿線、国道2号線、JR神戸線、そして山手幹線を越え、ついに山道へと差しかかる。海と山が近いこの地域は、朱留にとっても懐かしい景色だ。東灘区で暮らしていた頃、ヤマカン沿いのバーで飲んだり、保久良山の神社に参拝したりしていた学生時代を思い出しながら車を進め、ついに霊園にたどり着いた。


朱留たちは霊園内を歩き、墓石に手を合わせる。祖父・真夜中進(すすむ)の名が刻まれた墓石には、祖母・亮子(りょうこ)の名前も並んでいる。墓石を掃除し、花と線香を供え、家族三人で手を合わせていると、朱留は耳元で何か囁かれたような感覚を覚えた。


「ようきたな。インドで私は世界を見た。その世界は広い。お前もいろんな世界とつながるのじゃ。さすれば、いずれ理解できよう……」


その言葉が何を指しているのか、朱留にはまだわからないが、八州の地とつながりがあるのかもしれないという思いが心に浮かぶ。


しばらくして、霊園を管理しているという僧侶が偶然通りかかり、家族に話しかけてきた。 「真夜中さんご一家ですね?」


守が答える。「はい、そうです」


僧侶は少し微笑み、守に向かって話し出した。「実は私、進さんが研究されていた真言密教のグループに以前属しておりまして、進さんの書物や資料を拝見したこともあります。ご縁あって今はこの霊園で働いているのです」


朱留はその話に興味を引かれ、思わず僧侶に問いかけた。「祖父は一体、何について研究していたんでしょうか?」


僧侶は少し考え込み、「よろしければ、管理室で少しお話ししませんか?」と誘った。守と真理子も「それもご縁かもしれない」とうなずき、三人で管理室へ向かうことにした。


管理室では、僧侶が丁寧に淹れてくれたお茶とお菓子をいただきながら、話を聞くことになった。僧侶の話によると、祖父・進は三井重工時代にインドを訪れた際、真言密教に出会い、現地での体験が深く自身の思想に影響を与えたという。その後帰国し、密教の開祖である空海や最澄について研究を重ね、鞍馬の天狗伝説などの日本の霊的存在に関心を持つようになったという。


「進さんは特に、天狗について深く研究されていました。鞍馬の天狗、高尾山の天狗、迦葉山弥勒寺の天狗など、いわゆる日本三大天狗にも興味を持たれていて、仲間内でも天狗研究家と呼ばれていたのです」


その話を聞いた朱留は、八州の地で聞いた“魔王坊”という言葉が頭をよぎり、思い切って僧侶に尋ねた。「……魔王坊って天狗が本当に存在したんでしょうか?」


その突拍子もない質問に、父の守が目を丸くして言った。「どうした朱留?お前がそんな話を知ってるなんて…」


朱留は驚かせたくない一心で、とっさに言い訳を考えた。「いや、香川の金毘羅さんの天狗の話がきっかけで、少し興味を持っただけで…」


守は、朱留の関心が広がっていることが少しうれしいようで、「ほう、朱留も色んなことに興味が出てきたんだな」と笑顔を浮かべた。


僧侶の山寺龍太(やまでら りゅうた)は静かに頷きながら言った。 「魔王坊という天狗の存在は確認されていませんが、天狗の中でも階級や名前があり、彼らには“坊”がつくことが多いのは確かです。しかし、“魔王坊”とは少し恐ろしい響きですね」


僧侶はさらに、進がよく京都の鞍馬寺を訪れていたことから、そこに彼の研究のルーツがあるかもしれないと話してくれた。鞍馬寺には進の仲間もいるため、興味があれば訪れてみるといいと勧められた。


朱留は僧侶の言葉にうなずき、帰宅後に鞍馬寺に足を運ぶ意向を両親に伝えた。家族三人は山寺氏に深く感謝を述べ、管理室を後にした。

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