幽刃の軌跡 #54
第54話「京の記憶、祖父の残像」
朱留は数時間の眠りから目を覚ました。天井をぼんやりと見つめ、意識が現実に戻ってくるのを待ちながら、ふと幼少期の記憶が脳裏をよぎる。そういえば、父親から祖父の話を聞いたことがあった。昔、神戸で祖父は何かの研究員をしていたらしい。その研究内容を具体的に知ることはなかったが、今こうして異世界に関わる自分の立場を考えると、もしかしたらあれも関係しているのではないか――そんな気がしてならない。魔王坊が自分を宿主に選んだのにも、何かしらの理由がありそうだ。
「俺も少し、自分のルーツを調べてみるか……」高松に来てもう5年か。そういえばそれまでは神戸市東灘区に住んでいたし、こんな地方に飛ばされるとは当時は思ってもみなかったな……。思い切って京都の実家にも顔を出してみようか、休みを取れればの話だが……。
考えを整理した朱留は、鞍馬寺の本堂へ向かった。 「牛若さん、少し現世に戻って調べたいことがあります。向こうへ戻ってもいいですか?」 牛若は頷き、やや微笑を浮かべた。「ああ、もちろんだ。現世での用を済ませ、ゆっくりしてくるがいい。何かあればすぐに使いを向かわせよう」 「ありがとうございます」と深く一礼し、朱留は八州の扇を使って現世に戻った。
夜の7時。現世に帰ってきた朱留は驚愕する。「もう4日も経っていたのか……」あれほど弁慶から、クローンが現世で自分の身代わりを務めていると聞かされていたが、入れ替わりはスムーズに行っただろうか……一抹の不安が脳裏をかすめる。とはいえ、弁慶からも「扇を使用した段階でクローンは消え、お前と入れ替わる仕組みになっている」と聞いている。今は安心して現世の生活を満喫しよう。
まずは久々のすき吉の牛丼に足を運ぶ。「八州の地の料理も美味いが、やっぱり現世のジャンクフードには勝てん!」久しぶりの味にテンションが上がる朱留。その後、腹を満たした朱留は近所の銭湯でサウナに入り、至福のひと時を堪能する。そして、行きつけのバーにも顔を出し、マスターに軽く手を挙げる。 「おう、久しぶりだな。いつものでいいか?」 「うん、いつものハイボールで! デュワーズがたまらん!」と、朱留は現世での自由を満喫した。
翌朝。出社した朱留は、すぐさま上司に声をかけられる。 「おい、真夜中! ここ最近ミスが多すぎるぞ!」 朱留は心の中でため息をついた。「やっぱ……クローン、適当過ぎたか。休み取れないじゃないか、これじゃあ」
そんな朱留に、同僚が声をかけてきた。「おい、真夜中。今日中に仕事片付けないと、明日からの創業休暇が台無しになるぞ」 「え..創業休暇...ラッキー!!そうだな……早く終わらせないと」朱留は心にムチを入れる。 だが、その矢先に上司が追い討ちをかけるように言った。「真夜中、お前は休みなしやけん!」 部長がすかさず割って入り、上司を窘める。「その発言はまずいきん!気をつけろなあかん。」 「す、すみません、部長……」と、上司は不満げに退散する。
こうして仕事を片付け、気づけば夜の21時。朱留は高松から京都の実家に車を走らせることにした。夜の高速道路は車も少なく、鳴門海峡や明石海峡を通り、気づけば深夜1時には京都に到着していた。静かな実家に「ただいま」と小声で呟き、寝静まった両親を起こさぬようにそっとリビングでくつろぐ。
翌朝、母親が作る朝食の匂いで目を覚ました朱留。久しぶりに会う家族との穏やかな朝が始まった。 「おはよう、昨日は意外と早く着いてたんやね。お母さん、寝てて気づかなかったわ」と母親が微笑む。 朱留が挨拶を返すと、父親もリビングに顔を出してくる。「おう、朱留。帰ってきたのか、久しぶりやな。仕事はどうだ?」 「まあまあ、普通だよ」と、朱留は照れ笑いを浮かべる。
そして、ふと父親に聞いてみた。「ところで、父さんが昔言ってたじいちゃんの話だけど……じいちゃんって、何の研究をしてたんだっけ?」 父は一瞬驚いた顔をしたが、懐かしそうに語り始めた。「ああ、急にそんな話か。……じいさんはな、もともと三井重工で車の研究をしてたんだよ。当時の日本の自動車産業は世界一で、インドにも技術を教えるために3年間、単身赴任してたんだ。だが、日本に戻ったじいさんは、急に会社を辞めると言い出したんだ」
朱留は聞き入る。「その後、じいさんは仏教の研究に目覚めたのだという。会社を辞めるのは家族全員で止めた。だが、どんなに仕事が忙しくても、休日には必ず六甲山にこもり、研究していた。次第に仏教に関する仲間や師匠のような存在もできたらしい。そして50歳で早期退職を決め、この京都に移り住んだのだそうだ。神仏への探求がじいさんの人生を変えたのだな」と父は語る。
朱留は思いを巡らせる。「それで、うちの仏壇で毎週のようにマントラが唱えられていたのか……」
「そうよ。お義父さんが亡くなってから、我が家に仏壇を置いているからその研究仲間が毎週のようにこの家にやってきては、仏壇にご挨拶するから大変だったわ」と母が嘆く。
朱留は祖父の仏壇に向かい、扇を目にする。「これって……」朱留は驚く。 「その扇はじいさんが大事にしてたもんだ。いつも持っていたんだよ」 父親は言う。朱留はそっと扇を開く。その扇は、自分が持つ八州の扇と驚くほど似ていた。沈黙の中で、朱留は思った。「やはり……何かありそうだ・・・・」
仏壇に扇を戻し、朱留は両親に告げた。「久しぶりに、じいちゃんのお墓参りに行こうと思う」 両親は微笑みながら頷き、3人で向かう準備をする。
こんな風に、朱留は少しずつ家族のルーツを知る旅へと足を踏み入れようとしていた。それは自分自身が背負う「何か」に向き合うための、重要な一歩だった。