離れない不安を吐露したい④

それからの毎日は、乾燥した日々の繰り返しでした。会社に行って、仕事をして、寝る。それの繰り返しでした。

銀行の新人は、窓口の研修期間が終わると営業部に駆り出されます。私はその時、都内の中小企業営業の部署に飛ばされました。大企業営業の同期が動かしているお金やスケールとは、文字通り桁が違います。劣等感を感じずにはいられませんでしたが、もうそんなことは私にとってどうでも良いとも感じていました。自虐的な笑いが出てくるばかりでした。

配属されてからの数か月は事務を学びます。いきなり営業にはいきません。そこで私はお局と揶揄される人とペアになってしまいました。これがまた地獄で、質問は無視され、分かりやすく悪口を言われ、怒鳴られ、挙動一つ一つに文句を言われ、辛すぎて言葉にならない毎日でした。なかなか目に余るものだったのでしょうが、お局だけあって誰も助けてはくれません。厳しいことで有名だった上司が、さすがに心配してくれたのか、時々飲みに連れて行ってくれて、私のケアをしてくれました(これ自体が異例だったそうです。そんな優しいことをする上司ではないのです。それだけ酷かったということらしいのです)。でも、それすらも裏で何か情報が共有されているんじゃないか。ここで愚痴を言おうものなら、もっと酷くなるんじゃないかと思い、「指導は厳しいですけど、自分の力になっていると思うので、頑張ります」などと、思ってもいないことを繰り返していました。多分、今僕が自殺すればあのお局は殺人罪で裁かれてもおかしくないな、とか、本気でそんなことを考えていました。あれが指導なら、世の中のパワハラのすべては許されると本気で思っています。これは、パワハラの温床と言われている今のコンサルの職場に移っても変わっていません。

幸いだったのは、お局は私が配属されて半年後に異動になったことです。そして、どうにか自我を取り戻した私は、時同じくして営業に回されました。

皆さんが銀行の営業にどういうイメージを持たれているか分かりませんが、特に中小企業営業においては、端的に言うと「仲良くなって要らないものを買ってもらう」が基本です。ごくたまに運とタイミングで役に立てることもありますが、ごくごく例外です。

営業には様々な項目があります。分け方によりますが、大きく分けて既存顧客に対する営業と、新規顧客に対する営業になるでしょうか。その中でも貸金がいくらとか外為や為替の収益がどうとか、最近はクレジットカードやカード加盟店がどうこう、IPOが云々なんて言うのもあります。若手はまともなお客さんの担当になることはほとんどありません。私の配属同期は直属の先輩がちょうど異動になったので比較的良いお客さんをそのままもらえていたのですが、私の場合は燦燦たるものでした。ですから、自分で新規顧客を捕まえるしかない。1日数十件とテレアポをかけ、都内を行脚し、頭を下げ、そうやって毎日を過ごしていました。テレアポは毎回断られます(新規営業なんて断られて当たり前ですよね)。直接営業に行けば不審者扱いです。これだけ辛いと、せめて結果が出た時に嬉しければいいんですが、お願いにお願いを重ねて、下手に出て気に入ってもらって、そうして借りてもらったお金なんて、誰も幸せにはしないんです。だから、成約しても何も嬉しくなかった。結果が出ても嬉しくない仕事でした。1年ほど続けてると、私も営業の数字は出るようになりました(単純に行動量が人より多かったので当たり前です。営業なんて動いたもの勝ちですから。)が、全く嬉しくない。嬉しくないというか、精神的にはマイナスでした。

はてさて、プライベートはどうだったのかと言うと、基本的に一人でした。時々車や自転車に乗って出かけ、本を読んだり、勉強をしたり、映画を見たり、温泉に行ったり、気ままに過ごしていました。時々同期と飲みにいったり、大学の時の友人と会ったりしていましたが、一人のほうが居心地が良かったのです。私にとって休日は、心の回復期間でした。すり減らした心をどうにかゼロに持っていくような作業をする日でした。それは、誰かと一緒ではできません。むしろ、誰かといると体力を使います。自由にものを考えることもできません。だから、進んで一人で過ごしたかったのです。

そんな僕を心配したのでしょう。大学の友人がマッチングアプリを紹介してくれました。結論から言うと二度とやらないと思います。そこである女性に出会い、お付き合いをしたのですが、マッチングアプリで出会ったという事実自体が気持ち悪く感じてしまい、適当な嘘をついてすぐに別れました。酷いことをしたと思います。本当に、申し訳ないと思います。でも、戻りたいとはこれっぽっちも思いません。

この頃から、私は孤独について考えるようになりました(一応言及しておきますが、それは決してマッチングアプリの彼女と別れたからではありません。彼女と別れないと、たぶん私は心を病んでいたと思います。孤独について考えるようになったのがなんのきっかけだったかはよく覚えていません)。まだ20代前半とは言え、徐々に周囲の知り合いは結婚している(ないし、予定がある)状況になってきていたり、仕事で実力が認められ人脈ができていたり、社外で色々な活動を通し、楽しそうに過ごしていたりと、私のような一人の過ごし方をしている人間はあまりいませんでした。きっとこのまま一人なのだろうなと漠然と考えていました。

一人なのは怖いけれど、それでよいと思っている自分もいました。もう心がすり減り切っていた私は、誰かと会うことが苦痛だったのです。今だから言えますが、それは視野が狭い考え方です。誰かといる方が絶対に良い。孤独に強いことは大事だけれど、それは孤独の状態のままでいい理由にはなりません。

そんな矢先、父が病にかかりました。

続きます。


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