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世界一周物語15話 番外編 "一体、自分は何がやりたいんだろう?”

本当に自分は何がやりたいんだろう?


少年は帰国する飛行機の中で、次へ行く海外を考えながら帰路に着いた。
そして、夏休みが明け、大学の2年生の後期がスタートする。今まで何の違和感もなかった大学生活。むしろ楽しいかった。しかし、モンゴルから帰ってきた少年の目に映る光景は今までのものではなかった。

大学のキャンパスに通う大学生が何か人間の鎧を被った
うんこに見えてきた。

少年の中で、今ままでの学生生活が今まで通り楽しさややりがいが
感じられなくなってしまった。

授業に出て、いい成績をもらう為に頑張ってもなんだかやりがいが感じられない。サークルの仲間とワイワイやっていてもなんだか今までのような楽しさがなくなっていた。友達と飲みに行ってワイワイしても、遊びに行っても、心は何処か違う所にあった。アルバイトでお金をもらってなんだか嬉しいという感情が強くなってきた。

こんな日々があと3年間も続くのか?
排他的な楽しさ。
いっぱいお酒を飲んで、いっぱい遊ぶ。
授業は効率的に単位を落とさないようにそこそこ出席する。
そんな一時的な楽しさはすぐに飽きてしまうような。
何か虚しさが残るような。

将来なりたいかどうか分からない教職の授業を取っていても、何か違和感があった。果たして、このままの大学生活を過ごしていてもいいのだろうか?

次第に少年は考えるようになる。
自分の人生について。自分のやりたかった事について。

モンゴルで出会った人達と少年


少年は大学へ行くか、料理の専門学校に行くか、すごく悩んだ時があった。
小さい時から、料理が好きでよく家の台所で料理をしていたし、料理番組を好きでよく見ていた。高校2年生の時、辻調理師学校のオープンキャンパスへも行った。しかし、親の勧めもあって、大学へ進学する事になった。

大学に入って、料理人になりたいという夢は薄れて、だんだんと人が良しとする、世間が良しとする方向へ進もうとしていた。
モンゴルへ行く前は別に何の違和感もなかった。

しかし、モンゴルへ行ってから、
その感情がだんだんと変化してきたように感じる。

韓国では超大手のサムスン電気に勤めいる女性が、休職して、モンゴルに来ていた。絵の仕事をして、世界中を飛び回っている人がいたり。
2年間の兵役を終え、やっとの思いで自由な人生を歩もうとする韓国人がいたり。

何より、親がいないとか、親に養ってもらえない現状で孤児院に預けれていても、屈託のない笑顔を見せて楽しいそうに生きるモンゴルの少年・少女がいた。

今まで自分は恵まれた環境にいて、やりたいと思えることは、できる環境にいる。そんな中で、言い訳ややらない理由をつけて、自分の夢ややりたいことに蓋をして生きてはいないか?

そんな感情に駆られた。

このまま、大学に通って、教職をとって、教師になっても自分は本当に悔いのない人生を送れるのか?

少年は『今本当にやりたいことはなんだろう?』そう考えた。

考えれば考えるほど、今自分が歩もうとしている進路にすごく違和感が湧いた。

小学校の時の担任の足立先生


とりあえずの選択でなった先生に僕は教えられたくはないと思った。
自分が学生時代好きだった先生を思い返した。
小学校5.6年生の時の担任だった足立先生。
足立先生は、少し変わった人だった。(今は先生を辞めて篠山で蕎麦屋をやっている。)勉強より、僕たちに遊ぶ事の楽しさを教えてくれた。

怒られたことは一回だけ。男の同級生の心優しきゆうへいだけがクラスで呼び捨てにされていた。僕はしんぴー、まーしー、わっきー、ゆうへい。ちなみに小学校は男4人。女4人の8人だった。

僕たちは別に何の違和感もなく、過ごしていた。ある日、足立先生が、『ゆうへいだけ、なんでゆうへいやねん』とブチギレ。先生もその時、ゆうへいを呼び捨てにしていた。

そして、なぜか足立先生は国語の授業を中断して、ゆうへいのニックネームを考えることに。そして、つけられたあだ名は「ゆうちゃん」。
1週間ぐらいはみんな呼んでいたが、すぐにゆうへいと呼び捨てに。

そんな足立先生は、事あるごとに遊びに連れて行ってくれた。
休みの日には、男子を連れて釣りに。そしてキャンプに。
国語の授業はみんなで漢字検定に挑戦するとか言い出して、みんなで漢字検定を受けたり。蕎麦打ち体験をしてくれたり。
教室の後ろには、子供用の麻雀。ポケジャンが置いてあった。
足立先生は夏休みにはスウェーデンへ行って、クラスの皆んなにお土産を買
って帰ってくれていた。スウェーデンの小さなお皿は今でも取ってある。

始業式の時に喋ってくれた足立先生のお土産話を目を輝かせて聞いたのを覚えている。少年もいつか行ってみたいそう思った。
そして、その時の話が少年の心にはずーと残っていて、海外に憧れを抱くことになったのは言うまでもない。

少年は足立先生の事が大好きだった。
僕が先生になっても、ここまでの熱意を持って教師にはなれないだろう。

だったら、先生になるのはやめておこう。
そう少年は思った。

少年の小さい時からの夢はお店を持つこと


だったら、僕は本当は何がやりたい?
やっぱり『自分の店』が持ちたい。
そんな思いが芽生えていた。

思い立ったらすぐ行動。
飲食店をオープンする為に修行するお店を探す。

そうだ、どうせ働くなら、京都で一番有名な居酒屋で働こうと思い、食べログの評価と口コミが多いお店に連絡する。

そこで京都の有名な『おにかい』というかっこいいお店を見つけて、電話をする。すると、今はアルバイトを募集していないけど、系列店の『五十松』というお店を紹介してもらい、面接へ行く。

すると、面接をしてくれた当時の店長のタスクさんは、前髪の一部だけ、金髪でピアスに髭の強面の20代後半のお兄さん。
少年は緊張しまくった。面接で何を話したかは覚えていないけど、今ままで生きてきて出会ったことのない感じの人だった。

そして、無事『五十松』で働ける事になって、ここから1年間の『五十松』での日々が始まっていく。


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