「いやでござんすペリーさん」開国の地 浦賀に初上陸@神奈川県 横須賀市
こんにちは!
年末年始の旅行先が決まらなくて焦っているはなぴきです!
歴史の授業で一度は耳にしたであろう「ペリー来航」の地、浦賀(神奈川県横須賀市)に行ってきました!
学生の頃、”いやでござんすペリーさん”という語呂で、
ペリー来航は1853年だと覚えた記憶があります笑
歴史に出てくる地名だなという認識で実際に行ったことがなかったので、
今回、浦賀観光協会がおすすめする観光マップを片手に半日観光をしてきました!
出費のほとんどが旅行費、という旅行好きの私ならではの目線で、
浦賀の魅力を紐解いていきたいと思います!😌❤️🔥
まずは「浦賀駅」でシェアサイクル
横浜駅を10時に出発し、京急本線快特に乗って浦賀駅まで約40分。
ほとんどの乗客が横須賀中央駅で降りていくので、日曜日の昼間でも浦賀駅まで行く人はまばらでした!
堀ノ内駅で京急の快特から普通に乗り換え(ホーム反対側の電車へ)ます。
今回利用するシェアサイクルはHELLO CYCLINGです!
浦賀駅前には3か所のステーションがあり、車種も選べて使い勝手がとても良かったです。(自転車数も多かったので大人数で行っても使えそう◎)
事前にアプリをダウンロードしておく必要があるので要注意です。
私がダウンロードした際には、ダウンロード特典として初回30分無料クーポンが自動でもらえました!
また私の紹介コード『INliIn/pvRPL』を是非使ってください!
(アイ・エヌ・小文字エル・小文字アイ・アイ・小文字エヌ・スラッシュ・小文字ピー・小文字ブイ・アール・ピー・エル)
お互いに30分無料クーポンがもらえます🚲
アプリを開いて、地図から目当ての駐輪場を選ぶと、その駐輪場で借りられる自転車が複数表示されます。
うち、電池残量が十分にあるもの(3段階のうち2以上必須)、そして実際に自転車に触れてみて汚れていたりタイヤの空気が抜けていないかをチェックします。
支払いはPayPay、クレジットカード決済、キャリア決済(Softbankまとめて支払いなど)がありましたが、私はPayPayを選択。
スムーズに予約~決済まで進みましたが、予約金として2000円分が一旦決済されるので注意です!
返す際に時間と金額が確定したら正式に支払いとなるので、ご安心くださいね。(私もビックリして、あたふたしてしまいました笑)
アプリの”開錠ボタン”を押すことで鍵を開けられ、鍵を締めるには自転車のフックを手動でロックすればOKです!
なかなか普段シェアサイクルを使わないので、いざ使う時には手間取ってしまうんですよね~🤣笑
自転車をゲットできたところで出発です!!
全体マップ
「大衆帰本塚」の碑にみる浦賀
早速、何だこれってなりますよね笑
この碑の篆額(てんがく)は江戸時代後期の国学者 大畑春国が書き、碑文は中島三郎助の文章と筆跡がそのまま刻まれています。(篆額とは、石碑などの上部に彫られた題字のことを言います。)
この地が開発される前の様子と無縁仏を供養する思いなどが記されているのだそうです。
浦賀の歴史に欠かせないのが、この中島三郎助という人物。
強硬な姿勢で上陸を迫るペリー一行に対し初めて交渉にあたった人物であり、桂小五郎や榎本武揚とも親交のあった幕臣です。詳しくはこの後登場します!
港町浦賀の象徴「浦賀ドッグ」
ドッグ(dock)とは”船の建造・修理などを行うために構築された設備”をいいます。
ここ浦賀ドッグも、平成15年(2003年)に閉鎖されるまで、戦前には軍艦、戦後には日本丸・海王丸など日本を代表する大型帆船をはじめとして、連絡船・タンカー・運搬船などが造られてきました。
日本丸といえば横浜みなとみらいで保存・公開されていますね!
中村三郎助らによる日本初の洋式軍艦「鳳凰丸」もここで造られました。
「1,000隻以上の船の製造や修理を行ってきた歴史のある造船所で、レンガ造りのドライドックとしては、日本では浦賀にしか現存していない貴重な施設」なのだそうです。
このドッグ、実は見学することができるんです!!
毎月第1・第3日曜日限定で、申し込みは開催日の2週間前まで。
私はそんなことをちっとも知らずに行ってから気づいたのですが、
どうやら中が映えスポットのようなのです‥
これから行かれる方は、ぜひぜひドッグの予約に合わせて向かわれてください😌
▼こちらから予約できます。
ちなみに写真は、浦賀生協の真後ろの高台から頑張って撮ったものです笑
浦賀を知るにはここで!
旅行先には必ず加えたい、歴史をいち早く理解できるのが博物館・資料館。
浦賀に来たら、必ず「浦賀コミュニティセンター分館」へ!
浦賀の歴史は開国の歴史であり、幕末の激動の歴史です。
浦賀コミュニティセンター分館の2階には、”浦賀奉行所”と題した資料館があり、前述の中島三郎助の生い立ちや活躍、ペリー来航時の浦賀の町の様子などを知れるようになっています。
黒船と呼ばれた「サスケハナ号」。
「泰平の眠りをさます上喜撰。たった四盃で夜も寝られず。」という有名な狂歌がありますが、浦賀という江戸に近い場所に姿を見せたことで、江戸の町を砲撃するという噂が当時広まったそうです。
そんな中、まだ与力に過ぎなかった中島三郎助は、自らの身分を副奉行と詐称し、通訳1人を連れて乗り込み交渉。この大胆さと経験を買われて日本でははじめての西洋式大型軍艦の建造を指揮するまでになります。三郎助は、鳳凰丸と名付けられたこの軍艦の実質的な艦長に就任し、のちには長崎海軍伝習所の第一期生となり、勝海舟や榎本武揚らとともに造船学や航海術、砲術を学びました。
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資料館自体はコンパクトながらも、歴史のポイントをおさえるには十分。
地域の方の熱意が伝わってくるような展示でした。
また、浦賀ドッグ内の写真パネルも発見!
(この景色、結構映えじゃないですか!?)
1階では、マンホールカードもゲットできて大満足です!!
西の叶神社
ここからは毛色が変わり、神社仏閣巡りです!
「西叶(にしかのう)神社」は、”京都神護寺の文覚上人が源氏の再興を祈願して石清水八幡宮を勧請したもので、平家が滅亡しその願いが叶ったことにより「叶明神」の称号が与えられたと伝わる”とされています。(横須賀市観光情報HPより)
立派な鳥居と社殿です。社殿をよく見ると見事な彫刻が!
こちらの彫刻は安房(千葉県南房総)の代表的彫刻師 後藤利兵衛義光の作。
彼の生涯を通しての最高作でもあり、出世作でもあります。
そして目を引くのが”叶う”の字が書かれた絵馬!
シンプルですがかわいらしく、なんともご利益がありそうです✨
天然痘除けの「為朝神社」
源為朝を祀っている神社です。
源為朝とは源頼朝の叔父にあたりますが、身長2mを超える巨体のうえ、気性が荒く強弓の主と描かれている書物もあり、後世には天然痘除けの神とされたそうです。
パンフレットには為朝の像があると紹介されていましたが、建物の中にあるのか見つかりませんでした!
150年の足跡「浦賀奉行所跡」
為朝神社からさらに内陸に進んでいったところに「浦賀奉行所跡」があります。今では面影もなく堀の石垣が残るだけですが、想像よりも広い土地だなあという印象でした。
享保5年(1720年)~江戸幕府が終わる慶応4年(1868年)の150年間、ここに奉行所があったそうです。
灯台「燈明堂」は是非行って!
次にご紹介する「燈明堂」(とうみょうどう)は、シェアサイクルだからこそ行ける場所、かつ景色がとてもよかったのでおすすめです!
浦賀奉行所跡からは自転車で7分ほど。海を左にみながら海沿いを走ります。
公園のような作りになっていました。
こちらがその灯台「燈明堂」。
慶安元年(1648年)に造られてから明治5年(1872年)に廃止されるまでの約220年間、一日も休まず浦賀の海を守ってきたといいます。
灯台なので高台の上にあるかと思いきや‥海がすぐ目の前!!
右も
左も
海です!!
ここは先端が海の方に突き出しているので、海風を全身に浴びながら遠くまで見渡すことができる場所です。三浦半島のキレイな穴場ビーチとして紹介しているサイトもありました。
磯遊びやBBQをしている方もいたので、晴れた夏の日なんかは身近に自然を感じられるスポットとして利用したいですね!
ベンチも置かれていて、ここでピクニックをしても気持ちよさそうです~🍙
せっかく三浦半島の先まで来たのなら景色も楽しみたいところ。
今回のプランで自然系スポットはここだけなので、足を延ばしてみてはいかがでしょうか。
水辺沿いを「陸軍桟橋」まで歩く
市街地の方に戻りつつ「陸軍桟橋」まで海を眺めながら向かいます!
水辺沿いには小さな東屋もありました。なんとも穏やかですね~。
こちらがその「陸軍桟橋」。この日は釣りをしている人でいっぱいでした!
名前の理由は、太平洋戦争終了後に、世界各地からの引揚者(その数約56万人!)が、懐かしい日本の地に降り立った記念の地であるからだそうです。
ちなみに浦賀港周辺では、アジ・ハゼ・メバル・ウミタナゴ・イワシ・カワハギ・カレイ・クロダイなどが釣れると紹介しているサイトもありました🐟
ポンポン船に乗ろう!「浦賀の渡し」へ
冒頭で”プチ・アクティビティ”と表現してしまいましたが(笑)、ポンポン船という愛称の渡し船があります!
浦賀の東西を結ぶ手段として約300年の歴史があり、全国でも珍しいきちんとした水上の”市道”なのだとか!
料金は大人400円、子ども200円。
ちなみに横須賀市民は半額で乗ることができます!
また50円払えば自転車の持ち込みもOK!料金は船内で払います。
対岸から船が向かってきました。
船がいない時には、案内板のボタンを押すと来てくれる仕組みです。
少しドキドキしましたが、係りの方が自転車を積んでくださいました!
きちんとした自転車留めもあって安心です🚲
対岸は目と鼻の先なので、ものの3分ほどで到着します!
こういうちょっとした面白い体験ができるのが旅の醍醐味ですよね!!
ちなみに西側の乗り場のすぐ横には、吉田松陰や桂小五郎、浮世絵師の歌川(安藤)広重が宿泊したとされる旅館「徳田屋」の跡地があります。
今は住宅街の一角になり碑が立っているだけですが、黒船をみにきた吉田松陰がここにいたと思うと、ペリー×吉田松陰の歴史的な場に自分も降り立ち、同じ浦賀の街をみているとは不思議な気持ちになりました。
東の叶神社
実は、東側にも「東叶神社」というのがあるのです!
港を挟んで東西に叶神社がある構造です。立派な鳥居がお出迎え。
西叶神社の勾玉を、東叶神社のお守り袋に納めて身につけると、様々な良縁を結んでいただけると、パワースポットとしても人気があるようです。
西叶神社の絵馬は黒字だったのに対し、東叶神社では赤字でした!
鳥居からは対岸の陸軍桟橋がみえました。
ちなみに社務所の裏には井戸があり、勝海舟が咸臨丸での太平洋横断前に、この井戸で水垢離と裏山で断食をしたと伝えられているそうです。
※水垢離(みずごり)=水を浴びて身を清め、穢れをとり除いて心身をきれいにすること。
浦賀の賑わいを垣間見る「東燿稲荷」
実は、浦賀は干鰯(ほしか)の流通拠点としても一時期栄えていました。
※干鰯とは、鰯から油を搾り取り乾燥させた魚肥で、江戸時代を通じて有機肥料として使われていた。
江戸からも近く、当時全国の物資が集まる場所であったため、房総(千葉)の干鰯を集荷し、関西へ運ぶのに賑わったのがここ東浦賀です。
「東燿稲荷」(とうよういなり)の屋根には、漁業や商売で栄えた様子を偲ばせる恵比寿様と大黒様の姿が!干鰯問屋で賑わった歴史を垣間見ることができるスポットです。
商いが増えれば当然船の出入りも多くなるので、これらの船の安全や防犯のために前述の「燈明堂」が作られたと繋がっていくわけです。
歴史を学びに浦賀に行こう!
ペリー来航のイメージが強い浦賀でしたが、江戸幕府が貿易港として浦賀に目を付けたことに始まり、干鰯問屋の繫栄、江戸の発展による浦賀奉行所の設置。そして次第に外国船の到来が増え、歴史にも名を刻むペリー来航や、浦賀奉行所与力の中島三郎助の活躍など、江戸から明治にかけての世の変化と共に生きる様を、各スポットを回ることで理解することができました。
今の浦賀の街は住宅街で非常に穏やか。
だからこそ時折垣間見る激動の歴史とのギャップがまた面白いです。
東京/横浜からアクセスしやすく、シェアサイクルで快適にまわれる点で、気軽に出かけられる場所としておススメです!
秋の空気が気持ち良い今の時期に、ぜひ訪れてみてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
気に入って頂けましたら、ぜひ「サポート」をお願いいたします!
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