☆終わりは必ず来る
一切の事柄には、必ず終わりがあるものだ。
小学校が終わり、中学、高校が終わり、学生時代が終わり、恋が終わり、独身が終わり、育児が終わり、結婚が終わり、健康が終わり、闘病が終わり、命が終わり…
お祭りも終わり、牢獄も終わり…
人の世話も終わり、苦労も終わり、独りきりも終わり…
人生を一本の道だとするなら、私は、数々の終わりを脇に見ながら、歩みを止めずにここまで来たということになる。
一つ一つの終わりに、寂しいとか嬉しいとか、感情が沸くけれど、その感情のさ中にも、終わったすぐ後には、次の何かが始まっている。
終わりは必ず来る、終わることは止められない、どんなに大きなものの終わりも、些細なものの終わりも、強制的な終わりも、望んだ終わりも、数々の終わりの中の一つだ、そして私はそれを、散歩しながら眺めるだけだ。
ただ一つ、見届けることができない終わり、それは、自分の人生の終わりだ。
誰の人生の終わりも、遭遇すれば見届けるけれど、自分の人生の終わりを見届ける時、自分はもういない。見届ける目も、見届けると認識する力も、おそらく機能していない。せいぜい死ぬ何秒か前、これが終わりなのかな、と思うことが限界ではないのか。自分の死を、誰がどんなふうに見届けようが、関係のないことだし、それはそれぞれにおまかせするしかない。
それはさておき、人生の中にある数々の終わり、泣いてもわめいても、歩みは止まることはなく、どうせそうなら、いちいち泣いたりわめいたりなんて、しないでおこうと思うのだった。