見出し画像

☆5時の男〜ピアノへのそれぞれの愛

 自宅車庫で、ピアノを開放している、週4日程。

 お祭りデビューして以来、下校途中の小学生がぶっ叩いて行ったり、中学生女子が二人で一つの椅子に座り、ビリーブの伴奏と主旋律を練習していったり、高校生男子がゲーム音楽を早弾きしたり、中年の男性がオリジナル曲を弾き語ったり、クラシックをさらっと弾きこなすおじいさんがいたり、様々な形のピアノ愛を拝聴している。

 デビューから1ヶ月程経った頃から、平日の5時に決まって訪れる人がいる。マイナー調の、黄昏の似合う、映画の曲だろうか、それが持ち曲だ。どんな人だろう、とそっと覗くと、頭にタオルを巻いた職人風、仕事帰りにピアノを奏でるなんて、哀愁漂いすぎだろ、そのフォルム、気に入ってしまった。私はその人を5時の男と呼び、面倒な日も5時の男が来るからと、さぼらずにピアノを出すようになった。

 私がこうしてぶつくさ書いていると、ピアノが聞こえてくる。ああ、5時か。最近は一曲目が、アベ・マリアだ。今日はしっとり気味、今日は元気があるな、その日の彼の気分が出るのだろうか。いつも自転車で訪れる。雨の日にはカッパを着て。ピアノを弾く傍らに脱いだカッパがぐちゃっとしている。とにかく、哀愁漂いすぎなのだ。

 ピアノの愛し方、それって様々なんだな、その人にはその人の愛し方がある。上級の教育を受け、ピアノに人生を捧げる愛、その中にも一人一人違った愛し方があるだろう。ぶっ叩く愛、我流で弾く愛、愛しすぎて背いている人もいるだろう。そしてその愛し方はその人だけのものであって、他人は決してそれを批判や非難などしてはいけないのだなと思う。

 ピアノを色んな人に開放する、これは私のピアノの愛し方なのだろう。だけど、ご近所から苦情が来たらすぐに引っ込める覚悟はできている、私の愛などいつでも捨てよう。



#エッセイ #哲学 #ピアノ #愛

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?