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☆町田ゼルビア問題に潜む、本当の問題提起

 報道を見るのが苦手で、テレビもラジオもインターネットも触れないようにしているのだが、うっかり見てしまった報道ステーション。J1町田ゼルビアの、告訴のニュースをやっていた。

 誹謗の文も、町田のサッカーも、見たことはないし、2分間くらいで得た情報なのだが、どうやら、町田のサッカーが、高校サッカーのノリだという文句なのかな、これで合っているだろうか。

 私は30年越しのサッカー好きだ。マラドーナから入門したこともあり、Jリーグよりも、ヨーロッパや南米のを好んで観てきた。

 海外サッカー通にありがちな、日本のサッカーを卑下する態度も、通ってきた道だ。

 内田篤人が引退の時(だったか)、ドイツと日本のサッカーの違いは、と聞かれ、"別の競技だという感じ"と言ったことに、まさにそれ、と深く納得したものだった。"フットボール"と"サッカー"の違いを言いつつ、どうにも埋まらないズレに諦念、という表情に見えた。

 どうすれば、日本が世界で勝てるようになるのだろう。どこかの国のサッカー、どこかの国のやり方、を目指したところでそれは模倣に過ぎず、少しかじっては終わっていくもので、そんな簡単に根付き、浸透するものではない。日本には日本の、日本人に合ったやり方ってものがあるのではないか。田舎の片隅で、サッカー未経験の中年女がばかみたいに掲げる、10年来の課題だった。

 前回のワールドカップ、日本はスペインとドイツに勝利した。この勝利は本当にすごい、あのヨーロッパサッカーの、かっこつけの自信満々、余裕たっぷりの鼻をへし折ったぞ、みたいな痛快さがたまらなかった。

 その時、そういうことか、と扉が開いた。

 日本サッカーが"フットボール"になれなくて、どうして嘆く必要があろうか、日本は日本サッカーのまま、戦っていけばいいじゃないか。

 サッカーには、国内リーグの他に、もう一つ、代表戦という別の世界がある。

 今は、いい選手は大体ヨーロッパのチームに所属していて、南米の国の代表も普段はヨーロッパでやっている選手が殆どだ。なら、南米の国々がヨーロッパ化してしまうのではと思いきや、散り散りの選手達が母国で集まれば、その国のサッカーを一体となってするのだ。それを見ると、サッカーと血の関係の深さを思ってしまう。

 ヨーロッパ選手権は大きい大会で、面白くもあるのだが、あー、ここにブラジルとかアルゼンチンがいればな、と思わずにいられなくなる。ワールドカップのすごさはそこにあって、大陸間、人種間のサッカーの違いというものは、サッカーの大きな特徴の一つだ。

 その、ヨーロッパと南米という2強に、全く空気(競技?)の違う日本が殴り込みをかけるのだ。おそらく"フットボール"の国にとって、日本サッカーは理解不能だろう。そういう風に見た時、次のワールドカップが今までの比でなく、楽しみになってくる。変にヨーロッパかぶれするより、絶対に面白い。"サッカー"が"フットボール"を食うのだ。

 じゃあ、日本サッカーって何なのか、私は高校サッカーだと思う。高校サッカーこそ、日本サッカーの歴史であり、流れる血だと思う。ヨーロッパにはヨーロッパの、南米には南米のそれと同じものだ。

 そもそも、高校サッカーを、小学校から大学までやっておきながら、大人になった途端、"フットボール"などできるわけない。日本でプロになるなら、Jの下部組織よりも、強い高校か、それなりの大学でやる方が可能性は高い。Jリーグには、発足の遥か前から、高校サッカーの血が流れ継がれてきているのだ。

 たぶん、私は答えを簡単に出しすぎているだろう。でももし、町田が高校サッカーの色を濃くして、結果を出しているのだとしたら、これを機に、日本色のサッカーって何か、上の方の人に改めて考えてほしいな、と思う。誹謗とか告訴とかは、ひとまず置いといて。

 ヨーロッパでやる選手を集めて日本代表を作っても、日本のサッカーがヨーロッパ化するわけではない。サッカーは流れる血で一体となるもの、日本代表は日本のサッカーをするのが一番自然なのだと思う。

 私がドイツを好きなように、日本のサッカーを愛する外国人もきっと出てくるはずだ。最近では、高校サッカーを観に、海外から訪れるファンもいると聞いたことがある。

 ただ、そのサッカーが観ていて面白いかどうか、私がそのサッカーを愛するかどうかは、全く別の話なのだが。



#エッセイ #哲学 #サッカー #町田

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