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☆ピアノ界に君臨する偉大な曲〜このすごすぎる2曲とは

 やもめショックで、約25年打ち込んできた音楽ができなくなってしまった。やめてみると見えてくるものがある。まず、音楽がなきゃ生きられないと信じ切っていた無邪気すぎる自分。音楽などしなくてもこうして生きている。

 ただ、音楽で占めていた時間と頭の中、音楽をやらないとすき間だらけだ。やもめ1年くらいの時、以前からやりたかったことを実行することにした。テレビでやっている、街角ピアノだ。

 自宅は県道に面した2階建てで1階が車庫、その車庫部分にピアノを出すのだ。思い立つと行動力が暴走する性分、まずはピアノ、友人の実家にある、物置きと化しているあいつに目を着ける。その友人に相談すると、丁度介護用ベッドを置くのに邪魔だったという、タイミングすごいよ、と友人もびっくり。何と譲ってくれた。キャスターを付け、看板を作り、調律も済ませ、市のお祭りに間に合った。廃れ気味ではあるが商店街の一角、ギリギリお祭り区域になる場所なのだ。

 歩いていて突然ピアノが現れるのだ。そしてご自由にどうぞと書いてあったら、人はどうするのだろう。ただそれを知りたくて企てた計画だと言ってもいい。素の反応が見たかったので、隠れていた。ドッキリの仕掛け人になったみたいだ。

 お祭りというご機嫌な状況というのもあり、人々の反応はみんなかわいかった。とても楽しく盗み見てしまった。でもこの日、目当てのその反応よりもっと大きなことを、私は知ったのだった。

 それは、"猫ふんじゃった"と"きらきら星"の圧倒的な浸透力、猫ふんじゃったしか弾けないよー、と何人が言ったことか、そう言いながら猫ふんじゃったか、きらきら星を何人が弾いたことか。こんなに多くの人が、かつてピアノで遊んでいた、そしてそこにはこの2曲があった。

 音楽は遊びだ。そこに技術だの理論だの重圧だの余計なものを誰かがくっつけて、やたらとややこしくして、それを芸術と呼んでいるのではないか。玉ねぎみたいにその余計なものを剥いて、剥いていったら…現れるのは猫ふんじゃったときらきら星、だったりして。

 だけど多くの一般人に愛され、歌われる歌を名曲と呼ぶなら、この2曲はピアノ界の名曲と言えるだろう。エリーゼのためにやトルコ行進曲と違って、何しろ多くの一般人が弾けちゃうのだから。久しぶりにピアノに触る人や、ピアノを前に困った人に、ふと降りてきて自然に手を動かしてしまうし、例えつっかえつっかえでも、弾けば周囲がなんとほわほわな空気になるだろう。

 私は興奮していた。この2曲の偉大さをこんなに実感しているのは、私だけなのではないか。まるで1つの真理を見つけたような、私だけが見つけたような、独り占めの感じ、やったーな感じ。思わぬ大発見に心が躍り、それともう一つ、音楽の新しい価値という言葉が頭に浮かんだ。

 



#エッセイ #ピアノ #音楽 #哲学

 

 

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