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☆母達が、どうしてあんなにも娘が大好きなのか理解した日

 私の狭目の人付き合いの中で、長年感じてきたこと、母達は娘が大好きだ。娘さえいれば夫も友人もいなくたって平気なんだろうな、きっと。

 私は娘というものを知らない。その、娘への思いの強さを会話の中に見つけると、もやっとする。これは、やっかみなのか、呆れなのか?

 買い物も旅行も催し物も娘と出掛けるし、娘が出産となると、何ヶ月も堂々と仕事を休むし、中には、嫁いだ娘の家の近くに引っ越してしまった人もいる。なんでそんなに娘が大好きなんだ、わかりたいような、わかる筋合いもないような、とにかく、私には奇行に見えるのだ。

 母達には3種類ある。娘の母、息子の母、娘と息子の母だ。娘の母は、そうであることに満足していて、娘のいない母達を不憫に思っている。余裕があるからか、朗らかだ。息子の母は、緊張している。将来、息子にも嫁にも頼らないぞと、肩肘を張っていて、娘がいる人のことが内心うらやましい。娘と息子の母は、万能型だ。息子と自然な距離を保てるのも、娘がいる安心感からだ。両方を経験しているから、考えも幅が広い。以上、偏見がいっぱいだが、かすってはいるのではないか。

 先日、帰省した友人が娘を連れてきた。娘は20才、学生で、今時のおしゃれな可愛い子。私の屈折した偏見など知るはずもなく、好きな食べ物のこと、バイトのこと、旅行のことなど色んなことを話してくれた。私の向かいでは、母と娘の掛け合いが繰り広げられていて、私も自然とそこに混ざり、本当に楽しいおしゃべりの時間を過ごした。

 その中で私は知ったのだった。

 母にとって娘とのおしゃべり、これは宝物だ、これは、何を置いても守りたいと思って当然のものだ。私がこんなに幸福を感じたのだ、母の感じる幸福がどれ程大きいか、容易に想像がつく。このことは揺るがない真実だ。

 自分に娘がいないことと、この真実は、全く無関係だ。母達がどうしてあんなにも娘が大好きなのか、今ようやく理解した私には、もやもやはもうない。だってそれは真実なのだから、真実を私がどう思おうが、びくともするはずがない。奇行に見えていたものが、今や、そうして当然の行為だとうなずける。


 知らなかったことを、また一つ知ったことで、私はとても清々しくなる。まだまだ知らないことがいっぱいあるんだな。探究の旅は続く。ふむ、いい夜だった。




#エッセイ #哲学 #母 #娘 #宝物 #知る


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