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【経済のモノサシ】 飯田泰之 「財政・金融政策の転換点」 2023 (6) 高圧経済論

 まず「PB黒字化を急ぐ」だけの財政指針から「成長率g、金利r、債務GDP比、PB赤字GDP比を俯瞰しながら中期的に財政安定化をはかる」という見方に頭を切り替える。頭が切り替われば、今度は、何に財政支出すべきか、ということが大事になる。

高圧経済論とは?

 これまで、主流派経済学の経済政策の主張は
(1) 需要と供給の一致を図る
(2) その手段として金融政策を重視する
この2つだった。その前提として、不況はおおむね供給不足で起こるのだから、供給側に資金供給することが眼目だった。世界的な人口増加に供給が追いついていない状況で、この前提は妥当だった。しかし、世界的に人口停滞が始まり、特に日本では減速が著しい。

 供給過剰になりがちな環境で、筆者が再注目しているのが高圧経済論だ。初出はオーカン、1973年の論文。彼は「失業率が1%減少すると、GDPが3%上昇する」というオーカンの法則の発見者でもある(この法則は米国ではおおむね成立するが、日本ではあてはまらない。就業環境悪化で、有配偶者女性や高齢者が自発的に就業を諦めるので、失業率が変化しないからだ)。

 これまで、主流派経済学は供給側の生産性は急に上昇することはない、と前提してきた。需要過剰の状態で、その時点の生産能力が最適配分されてしまうと、残りは物価上昇によって需給が均衡する。
 高圧経済論では、需要過剰は供給側の急速な生産性改善を生み出すと仮定する。(1)労働者の能力向上や設備増強といった純粋な生産性向上、だけにとどまらず、(2)労働者が労働生産性の高い産業に移動することによる生産性向上(デニソン効果)、(3)労働生産性が高い産業のシェアが高まることによる生産性向上(ボーモル効果)によって、多層的に生産性が改善するからだ。特に(2)(3)で生産性の高い(付加価値の高い)産業への労働力が加速すると、労働者の所得が改善し、それがさらに需要を生むという好循環が生じる。

 逆に大きな需要不足が生じると、失業した人々は低賃金、低生産性の産業に逆流し、産業全体が設備投資を抑制し、過剰な労働力✕賃金の圧縮で生産調整するようになる。(1)(2)(3)の逆回転が需要不足(供給過剰)を悪化させるという悪循環が生じるので、GDP成長が停滞する。

 この効果はマジョリティである低所得層をターゲットにすることでより大きくなる。しかし、金融政策ではお金がどこに流れ着くかは、市場の自己調整に委ねるしかなく、十分な量が低所得層にたどりつくとは期待できない。実際これまでもトリクルダウンは起きなかった。そこで、財政支出が重要になる。

(1)適度な需要過剰を目標とする
(2)財政支出を重視する
(3)低所得層に減税や給付をあつくする
(4)より有利な職種に安心して転職できるよう支援する

などが、高圧経済論での財政方針となる。金利やマネタリー(貨幣量)よりも、GDPギャップ、コアコア指数(食品・エネルギーを除く消費者物価指数)、国内需要デフレーターなどを結果指標としてより重視することになる。国内需要デフレーターとは消費・投資・政府支出等の需要項目の付加価値を集計したものだ。
 雇用はもちろん最重要指標だ。ところが、失業率の定義が「現在、職探しをしている」者に限られるので政策目標としては不十分だ。日本では景気が悪化すると就職や転職を諦める傾向が強く、景気と失業率の相関の弱さが何度も観察されている。むしろ賃金動向が重要な指標になるだろう。賃金を産業、年齢、学歴、雇用形態など、属性別に、より精密にモニターし、財政施策の基礎とすべきだ。

金融政策の役割再認識

 財政政策というと、かつての通産省、経産省による産業計画を思い描くかもしれないが、効果がなかったことは実証されている。政府支出の多かった産業ほど成長率が低いことが、実績として確かめられている。(1)政府に限らず、誰であれ成長産業を予言的中させることはできない、(2)政府支援の一部は既存産業の保護に向かいがちだ、といった理由が考えられている。その意味で、民間が広く多様なプロジェクトに投資しやすい環境作りとしての金融政策は依然重要だ。

中立的需要促進政策

 財政としては、産業に中立的な減税・給付が大きな政策の柱になる。だが、問題もある。財政を経済の調整手段としてより積極的に使う以上、将来引き締めの局面もあるからだ。恒久減税を約束できない以上、減税・給付を受けた民間は、その一部を貯蓄に回してしまうことを想定しなければならない。そこで、困っている人の立ち直りを支援するセーフティネット的政策がひとつの柱になる。消費に回りやすくなるからだ。

  • 若年層・低所得者向けの給付を厚くする。高齢層・高所得者よりも、消費に多く回すことが確かめられている。

  • 未就業時の給付、保険料減免。

  • 転職しやすい環境づくり。自己都合退職者への失業保険給付、新規雇用企業への補助金給付、マッチング・システム拡充、など。

  • 安全保障、国土保全等の一時的に多額の資金を必要とする事業。

 給付政策以外でも、現在進行中の正規/非正規格差の解消と最低賃金上昇も重要な政策となる。非正規労働者は、平均賃金が低いだけではない。非正規労働者には十分なOJTが提供されない傾向があり、企業と労働者双方の生産性停滞の一因となっているからだ。

 このような政策を重ねていくと、しわ寄せが中小企業に向かいがちになる。賃金上昇と生産性上昇の好循環を生み出せるかどうかは、企業運営にかかっているから、優勝劣敗が進む。高齢化した創業社長の引退とともに、後継者不足で経営が悪化する中小企業も多くなるはずだ。負け組が一回倒産して、その従業員が勝ち組に再就職するという調整では、痛みが大きすぎる。中小企業の合併を促進する税制優遇や融資支援も充実させる必要がある。

社会保証制度との共存

 社会保障費を増やすか減らすかという議論の仕方には限界がある。社会保障を多少抑制的に運営したとしても、高齢人口増加にともなう負担は増大する。支給された社会保障費は、ほぼそのまま労働を経て消費に回る。この経路の生産性が低いままでは、増大する医療・介護従事者が低賃金で働き続けることになり、需要過剰の好循環にたどり着けない。「社会保障関連の経済循環の生産性(付加価値)をいかに向上させるか?」こそ、より重要な論点とすべきだ。

  • 労働集約的な医療・介護サービスの機械化・合理化を支援する。

  • 医療・介護サービスに関連する経営・事務の共通化・集約化を支援する。

  • 裕福な高齢者向けの高額な医療・介護サービスを活性化させる。このような方向性には反感も出るかもしれないが、税制だけで再分配を進めることには限界がある。富裕層が喜んで支出し、それが国内消費に循環するサービスを模索する必要がある。そのために、公的保険事業と富裕層向け事業が共存できるように規制を見直す。

念の為! 高圧経済はバラ色ではない

 セーフティネット強化はフリーランチを意味しない。財政支出によって消費を拡大し、供給能力を超える総需要を生み出そうとするのが高圧経済論だ。労働市場が供給不足になるから、企業は再編、集約、技術革新を通じて生産性を上げ、上昇する賃金を賄う必要がある。労働者も変化する産業構造に合わせて積極的に転職し、自らの生産性を上げることを迫られる。

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