
【社会のモノサシ】 ファニーハフ 「おしゃべりな脳の研究」 2022
※ 文中の太字は原文のままの引用です。
対話から内言へ (ヴィゴツキーの内言モデル)
私たちの脳内に響く言葉のことを心理学者は「内言」と呼ぶ。内言が思考において非常に重要な役割を果たすことが、明らかになりつつある。
子どもは話せるようになると、他者とのコミュニケーションだけでなく、自分の行動を調節する「心理的道具」として私的発話(声にだす独り言)を用いるようになる。片言で自問自答しながら行動を進めていく。他者と意思疎通する手段を、自分自身との意思疎通に流用しているとも言える。
児童期後期になると、私的発話が、発話を伴わない内言に移行する。大筋はこのような発達経路だが、私的発話や内言にはさまざまなバリエーションがあり、それが身心に与える影響も多様だ。
言語が子どもに思考を与えるわけではない。むしろ、言語以前に存在する何らかの知的能力を、言語が変容させるのである。・・ヴィゴツキー(心理学者)は、これを「発達における革命」と表現した。
内言の特徴
内言に関するアンケート調査の因子分析で「凝縮・対話的・他者・評価的」という特徴が抽出されている。
凝縮:
文法を省いたり、ハムレットという言葉だけでとくに断りがなくてもシェイクスピアの作品全体を表すなど、省略や圧縮を多用する。内言の処理速度は発話(声にだして語ること、外言とも言う)より10倍くらい速く、1分あたり4千語と推定する研究者もいる。
対話的:
異なる視点どうしの会話の形をとることがある。
『テアイテトス』・・でプラトンは・・書いている「私は、自分でもほとんど理解できないことについて話している。しかし、魂は考えているとき、まさしくしゃべっているように私には思えるのである。自分自身に問いを発し、それに答え、肯定したり否定したりする」
他者:
他人が言っているように感じることがある。
テニスコーチで著述家のW・ティモシー・ガルウェイが1974年の古典的研究のなかで、多くの選手の心に「ボールから目を話すな」「膝を曲げるんだ」など、口やかましいコーチのような自分がいることを指摘している。
学生に対して、内なる対話者の性格をアンケート調査した統計分析では、4タイプが抽出されている。① 忠実な友(長所を認めてくれ、ポジティブな感情を呼びおこす)、② 親(強さ、愛、思いやりのある批判)、③ ライバル(プライドが高く、成功を追求する)、④ 楽観論者(穏やか、ポジティブ、自己充足的)。
ヴィゴツキーの内言モデルによると、内言は他者との会話から発達し、そのために複数の視点が切り替わる性質を保持しているという。
評価:
良かった/悪かったという判断や印象を伴っている。
内言の社会性
内言は対話的になるときもあれば、独語(ひとりごと)的になることもある。対話的な内言では、右上側頭回後部の活性化が観察されている。ここは、心の理論(Theory of Mind[ToM]、心理学で他者の考えや行動を予測・理解する能力のこと)の主要領域でもある。対話的内言は、実際の対話が心の中に沈み込むようにして内言に移行したという、内言モデルを裏付けるものだ。
内言の頻度
内言の出現頻度を測定する二つの実験(① MRIで観察、② ランダムにブザーを鳴らして、その直前の内言の有無を確認)によって、内言の頻度が人によって大幅に異なることがわかっている。
90%以上の人が数分間のうちに一度は内言している。
しかし、内言が数分間持続する人は17%程度。
ランダムなブザーの瞬間に内言している率は、人によって0から94%にバラつく。内言を、いつも、いつまでも喋り続けている煩い存在、として表現する著述家は多いが、実際の頻度測定では、平均23%にすぎない。
実験で内言が観察されない人もいる。これらの測定結果は、内言を必要としない思考形式(直感?)の存在と重要性も示している。
聴声
言葉が脳内に響くということは、語るだけではなく、聞くことでもある。勝手に声が聞こえてくることを「聴声」という。幻聴が統合失調症の典型的な症状であるために、聴声も精神疾患と関連付けられることが多かった。
しかし、そのような見方に疑問も出始めている。精神疾患と無関係な聴声者は、ありふれた存在であり、それらの人々は、苦労しながらも聴声と折り合いをつけながら生きていることがわかりはじめたからだ。また、いったん統合失調症と診断された人が、トラウマに対するセラピーで回復する事例も見つかっている。
聴声は脳が自覚しない内言のことかもしれない
聴声は一見、内言や、対話が内言に移行するという内言モデルとは無関係のように見える。しかし、fMRIによる観察では、脳内部位の活性化のタイミング次第で、内言になったり聴声になったりしているように見える事例が発見されている。
内言では、補足運動野が先に活性化し、そのあとに聴覚野が活性化している。しかし、聴声の場合には両方の部位が同時に活性化している。補足運動野は経験の『自主性』の神経基盤だ。自分が意図したと自覚できるかどうかは、このような自主性の神経基盤が行為に先立って活性化できているかどうかと関係しているようだ。自覚できない内言が、聴声や幻聴という経験になるのかもしれない。
黙読と聴声
黙読でも、脳内に声を感じることは多い。そうでなければ、名文のリズムや音韻を味わうことはできない。小説に没入すると、まるで登場人物が本当に喋っているように感じる。
小説家の中には、脳内で登場人物が勝手に喋りだす経験を報告する例が多い。そのような没我状態を積極的に創作活動に取り入れている作家もいる。これらは、意図的で軽度な聴声経験と言えるかもしれない。
トラウマ、解離、聴声
おぞましい出来事の記憶が長年、潜伏し続けた後、統合失調症のような疾患の診断が最も多くなされる成人期早期に(聴声として)再び現れるのはなぜか・・
トラウマと聴声をつなぐ隠れた手がかりは、解離と呼ばれる心理的現象かもしれない。解離は・・、思考、感情、経験が通常の形で意識に統合されない現象を指す。・・トラウマ体験中に解離・・(つまり)自らを複数の部分に分裂させることは、心の防衛機構の中でも最も強力(かつ乱暴)な部類に入る。
解離によって恐ろしい記憶がいったん失われるが、意識的に思い出すことができないだけで、消滅したわけではないと思われる。聴声は、思い出したくない失われた記憶と、意識の架け橋として何かの役割をもっている可能性がある。
たとえば、幼児期は解離によって命をつなぎ、精神的成熟とともに、隠し仰せない辛い記憶のサインを聴声として届けることで解離を緩和する、など。なにか生存戦略のようなものかもしれない。
聴声者が、自らの聴声体験を積極的に掘り下げようとするヒアリング・ヴォイシズ・ムーブメントのネットワークは23ヵ国にあり、イギリスだけでも180以上のグループが活動している。
ジャッキー(聴声者)は声が聞こえることを、「自分の無意識からの電話」を受けるようだと話した。・・「それって自己の一面じゃない?・・声の聞こえる大勢の人たちと話して気づいたんだけど、・・みんな声が消えてほしいとはそれほど思っていないの」
・・説明すべき重要な点は、いま「聴いてくれ」と叫んでいる心のメッセージを、トラウマがどのように生みだしうるのかということだ・・。
ドリー・セン(聴声者)は・・「声は私の命を救ってくれました。・・自殺をしてもおかしくなかったんです。・・当時の私は事実を直視できなかったから、声が直視しないように助けてくれたんです」と述べている。