【経済のモノサシ】 飯田泰之 「財政・金融政策の転換点」 2023 (3) 非伝統的金融政策
長期予想に働きかける非伝統的金融政策
非伝統的政策では、金利予想や将来のインフレ率といった現在以外の時点を含む経路、つまり時間軸を用いた政策が中心になる。先に、伝統的金融政策で短期金利を引き下げれば、イールドカーブ全体を下方にシフトさせる圧力が生じると説明した。しかし市場関係者が、短期金利の低下は一過性だと予想すれば長期金利は低下しない。長期金利の変化には市場予想が大きな影響力をもつ。だから、市場の長期予想に働きかける。
日本の非伝統的金融政策の経緯
1999年4月、日銀はゼロ金利政策導入を宣言した。引き下げ幅で見れば0.02%に過ぎないので、短期金利への影響は限られている。市場の「低金利の長期化予想強化」が目的だったと解釈されている。
しかし、早くも2000年4月、日銀幹部から「副作用というかマイナス効果も・・」など早期解除を匂わせる発言が出始めて「低金利の長期化予想強化」は不発に終わった。
2001年3月、日銀は量的緩和を導入。量的緩和ではコールレートがほぼゼロになっても、さらに買いオペを進める。銀行の超過準備が量的に拡大するので、金融引締には同量の売りオペが必要になる。それには時間がかかる。だから市場は低金利が長期化すると予想する。
また、銀行の日銀当座預金が拡大するので、銀行は貸出も拡大(ポートフォリオ・リバランス)しようとする。その面でも金融緩和が進む。
しかし、2006年3月に消費者物価指数がわずかにプラスになった時点で、日銀は量的緩和政策を終了してしまった。
金融緩和を打ち出しては解除することが2回繰り返された結果、市場は「早めの金融引締」を警戒するようになった。非伝統的政策に対して市場の腰が重くなった。
2012年9月、大胆な金融緩和を主張してきた安倍首相の就任後、8千円台だった日経平均株価が反転上昇に向かう。
2013年1月、政府・日銀の共同声明。
2013年4月、日銀新体制発足。このときまでに株価は1万2千円台に、10年物国債利回りは0.75%から0.4%に、ドル円は79円から93円の円安に変化。
2012年9月〜2013年4月までのあいだ具体的な金融政策は発表されていないのだから、市場予想だけでこれだけの変化が生じたことになる。それほどに市場予想の影響は大きいと言える。
2013年4月、日銀が新金融政策を発表。(1) インフレ目標を2%とする、(2) 日銀操作目標をコールレートからマネタリーベースに変更する(つまり量的緩和拡大を目標にする、ということは低金利は長期化する)、(3)長期国債の買い入れを年間50兆円ペースで拡大し、買い入れする時点の平均残存期間も7年程度に長期化する(長期国債の価格が上昇し、利回りが低下するから、長期金利が低下する)、(4)不動産投資信託(J-REIT)や上場投資信託(ETF)の保有を倍増する(日銀がリスク資産購入を宣言するとリスクプレミアが低下するのでリスク資産価格が上昇する)。
2016年1月、マイナス金利政策発表(日銀当座預金の一部に0.1%マイナス金利適用、銀行は貸出を増やそうとすることになる)。
2016年9月、イールドカーブ・コントロールとオーバーシュート型コミットメントを発表。10年物国債の利回りを0付近にすることを目標とし、インフレ目標も「2%まで」から「2%を安定的に持続するまで」と変更。
しかし、2016年以後の政策有効性は専門家のあいだでも評価がわかれている。おもな批判として(1)政策強化が、日銀の焦りとして市場関係者に受け止められ、むしろ金融政策の限界を印象付けた(2)インフレに転じたあと短期金利を上げるためには、事前に日銀の長期国債買い入れを減らす必要がある。そうしないと、長期金利を抑制したまま、短期金利を上げることになってしまうからだ。ということはその時点で「低金利の長期化予想」はくずれる。市場はイールドカーブ・コントロール柔軟化を金融引締の転換点として理解することになった。
2023年7月、日銀はイールドカーブ・コントロールの柔軟化を発表。長期国債利回りの上限を0.5%から1.0%に。
結局、政策有効性の評価はわかれたまま、「早めの金融引締」だけが3回にわたって実施された。
※ なお、本書出版(2023年12月)後の日銀の動きは、2024年3月、マイナス金利政策解除(短期金利目標0〜0.1%)、2024年7月、短期金利目標を0.25%に利上げ、となっています。
非伝統的金融政策が見落としたこと
潜在GDPが達成される実質金利水準を自然利子率と呼ぶ。需要不足が大きすぎると、利子率をゼロにしても供給過剰になる可能性がある。その場合、自然利子率はマイナスになる。一方で、
(予想)実質金利 = 名目金利 ー 予想インフレ率
だから、名目金利をマイナスにできない以上、デフレ予想の経済ではマイナスの実質金利は実現できない。つまりデフレ経済のもとでは、金融政策だけでデフレを脱出することはできないことになる。これが古典的理論だった。
これに対して、クルーグマンは1998年に「名目金利が下限に達したら、予想インフレ率を引き上げればよい」と提唱し、日本の非伝統的金融政策の理論的背景ともなった。
しかし、予想インフレ率を引き上げるために金融政策にできることは「将来、インフレになったときに金融引締をゆっくりと行う」と約束することだけだ。「低金利の長期化予想強化」とはそういう意味だ。
肝心のインフレそのものは自然発生すると仮定している。デフレを強制的にインフレに転換する金融政策があるわけではない。インフレの自然発生をあてにすることには、1998年当時から疑問も呈されていた。「『寝て待っていれば日本はインフレになる』と市場は信じている」と仮定することになるからだ(これが本当に事実ならばデフレ下での金融政策は不要になる)。
そのうえ、クルーグマン理論の眼目である「インフレの金融引締はゆっくり行う」という約束は、直近20年の金融政策で三度も裏切られた(※ 三度目は現在進行中・・)。
長期停滞論
「金融政策だけでは潜在GDPを達成できるだけの需要が生じないかもしれない」という長期停滞論は、ハンセン(1938)、コーエン(2011)、サマーズ(2014)らによって何度か提唱されている。
世界経済における「容易に収穫できる果実」は(1)無償の土地、(2)技術革新、(3)未教育の賢い子供たち、だ。現在の日本では、これらのいずれもが飽和に近づきつつある。
加えて日本の消費者は「貨幣を保有することそのもの」つまり貨幣愛に効用を認めている可能性がある(小野善康、1992年)。貯金や資産が多ければ安心感という効用が生じるからだ。
経済水準が高くなると、消費を増やすことの満足度(限界効用)は小さくなる。貨幣愛の効用がさほど大きくないとしても、消費の限界効用が小さくなれば相対的に貨幣愛が経済行動の主要な動機づけとして浮上する。デフレ不況と資産バブルの両方で貨幣愛が後押ししている可能性も否定できない。
日本では、寝て待っていれば自然にインフレになることは期待できないかもしれない。国民の多くがそう感じているからこそ、非伝統的金融政策の威力がいまひとつだったのだろう。このような状況では、日本の30年に渡る大停滞の原因を実態的な経済活動に求めたうえで、政策的に解決することも検討する必要がある。