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わんこそば体験記(ソフドリセールスは罠)

昨日は、わんこそばに挑戦して、あまりの満腹状態に、リバースを抑えつけるのに必死でnoteを書くのをあきらめてしまった.

大変苦しい思いをしたので、この体験がいつか誰かの糧になればいいかと、メモ代わりの文章を残しておきたいと思う。

戦績

おそらく105杯食べたはず。
100杯以上でお店のノートに記録させてもらえる制度になっており、なんとか記録に残してもらえた。

ちなみに最高記録は700杯以上だそう。なんのこっちゃ。

基本システム

まず、薬味皿の入ったお椀を渡される。
このお椀にそばを受けて食べる。

机におはじきの入ったざるが置かれる。
そばを5杯食べたら、おはじきを1つ取ってカウントしていくシステムだ。

もう一つ、空のお椀が卓上に置かれる。
汁を絡めたそばが提供されるが、だんだん手持ちの椀の中に汁が残ってくる。この汁を飲んでしまうと無駄に腹が膨れるし、そばを受けたときに汁がはねてしまうので、適宜、卓上の空の椀に汁を捨てるのだ。

満腹になってもういらなくなったら、手持ちの椀にふたをしておしまいにする。
成人男性なら100杯、女性や子供は80杯で、店のノートに記録してもらえる。
時間制限もないが、休憩もない。始まってしまえば、盛り子(そんな呼称があるかは知らんが)との真剣勝負である。

トイレ中座も禁止のため、開始前に最後のトイレに行っておくのがよい。

お蕎麦のお供達

さて、延々とそばを食う挑戦者に対して、いくつかの計らいがある。

薬味

薬味皿には、四種の薬味が乗っている。
紅葉おろし、くるみ、かつお節、ネギである。
紅葉おろしはかなり辛く、使うときは少量ずつにするように注意を受けた。
これで、そばの味を変えながら長くそばを楽しむのである。
そんな余裕があればだが。

小鉢

箸休めの小鉢も出される。
今回は、てんぷら、卵焼き、漬物、山菜、なめこおろしが出された。
箸休めに食べてもいいですよと言われた。
そんな余裕があればだが。

ソフトドリンク

「めんつゆの味がつらくなってきて、甘い飲み物が欲しくなるっていうお客さんが多いんですYO」という流れるような営業トークを受けて、そんなものかと思いリンゴジュースを頼んだ。
そんな余裕があればだが。

基本戦略

大食いの基本は、「噛まずに素早く呑み込む」だと考えている。
大学時代の柔道サークルの冬合宿の地獄を僕はまだ忘れてはいない。
3泊4日で10kg増やすのだ。
最終日のチェックアウト時、体重計に乗って、足りなかった分は、ロビーにあるものを自分の体の一部にする大喜利で乗り切らなければならない。
合宿の形式の大喜利ハラスメント大会だった。

完全な脱線である。

兎にも角にも、椀に投げ入れられた麺が汁を吸う前に口に入れて、極力噛まずに呑み込む。
人間の満腹中枢が、時間経過によって活性化してくるというのは、増量ダイエッターにとっても減量ダイエッターにとってもまっさきにハックすべき人体の仕組みだ。
咀嚼は、食事時間を延ばし、あごの運動が脳に食事の刺激を伝える。脳が食事が進んで、満腹を体に警報すべき時期を認識する前に、どれだけ腹に詰めて込んでおけるかが勝負なのだ。

実際の様相

「はい、じゃんじゃん♪」「はい、どんどん♪」
可愛らしい声が響き、そばがリズミカルに僕の椀に投げ入れられる。
僕はその声を聴きながら、1,2,3,4,5、おはじきと繰り返し数えながら麺をすすっていた。まるで、この苦行の意味を考えることから逃げるかのように数え続けていた。

僕の卓には、比較的若い盛り子さんがついてくれた。
長男の杯数カウントを補助しながら、無心に噛まずに呑み込む僕の椀にもリズムよくそばを放り込む。

一杯目を口に入れた時、意外なほどのおいしさについ二度三度と麺を咀嚼してしまった。
ここが戦場であることを思い出し、すぐさま放り込まれた二杯目を、今度は最新の注意を払って、噛まずに呑み込む。
「はい、じゃんじゃん♪」
どうやら盛り子も、僕を戦う術を知る”戦士”であることを感じ取ったようだ。
「はい、どんどん♪」「一回離れまーす」
二つ目のおはじきを手元に置いたころ、盛り子の盆に乗ったそばがなくなり、おかわりの補充に行く。
この隙に、僕は椀にたまった汁を空き椀に捨てる。

「はい、じゃんじゃん♪」
手元のおはじきが10を超え、数が認識できなくなってくるころ、このおはじきで数える仕組みが良く出来ていることに気付かされる。

5くらいまでなら、盛り子の補充待ちの短い中座があっても、大概覚えていられる。
その代償として、自分が今、全体でいくつ食べているかを認識できなくさせるのだ。
そして、この代償こそが、わんこそばをわんこそば足らしめている。
どれだけ食べたかわからなければ、食べ続けるしかないのだ。
100まで、あとこのくらいだとか、ペース配分を不能にさせる。

気付いた時には、腹の中に咀嚼もされていないそばがあふれかえり、腹の中で麺が汁を吸って膨れていくのだ。

そして、食べ終わった瞬間よりも、以後数時間にわたって「満腹感が増大していく」という異常事態に見舞われるのである。

幸いにして、僕は、長男が30杯食べたところで、ギブアップし、そのタイミングで、優しい盛り子さんの計らいでおはじきを数えたところ、21個あったので、100杯は超えたし、もう良かろうと思いやめることが出来た。

もし、これが、向かいに座って競り合っている相手が、成人男性だったらと思うと恐ろしい。

ちなみ、初めの内は、薬味を入れてみたりもしたが、リズムが悪くなって苦しいので、補充中の隙に少し椀に入れてみる以外は、薬味を使うタイミングはなかった。
小鉢については、言わずもがなである。おはじきを数えて椀にふたをした後に盛り子さんから、「小鉢召し上がっていただいても結構ですよ」との二度目の宣戦布告のようなものを受けたが、こちらは白旗を上げる以外なかった。
そして、ソフトドリンクである。
麺つゆも吸わないようにしているのに、ソフトドリンクである。
飲むタイミングなどあろうはずもない。
食後ですら、口をつけようという気にもならない。これ以上麺に水分を与えようなどと正気の沙汰ではない。
ジュースは、妻がおいしく飲んでくれた。

まとめ

わんこそばはスポーツとして、楽しい。
普段大食いなどしない人でも、フードファイトを楽しめる仕掛けに満ちている。
しかし、スポーツが楽しいことと、苦しいこととは、矛盾しない。

どんなスポーツも、楽しさと苦しさは、肩を組んでやってくるのだ。

いや、それはスポーツだけに限った事ではないのだろう。
何かを楽しむことと、その何かに苦しむこととは矛盾するものではない。

必ず、逃れようのない、本質的な苦しみがあらゆる活動にあるのである。
あるいは、楽しさとは、決して逃れられない苦しみと向き合うために、生物の知恵が生み出した苦し紛れの感情に過ぎないのかもしれない。

食事の苦しみを久しぶりに、スポーツ、エンターテインメントを通じて思い出す。

初めてのわんこそばはそんな体験だった。

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