ニートンの禁欲目録その4〜習慣が途切れた後の切り替えの重要性〜
まず、この記事を見てくれているあなたに問いたい。
「失敗した後にすぐ切り替えること」ができているだろうか?
無論、私はできていない。
というかこの23年間という決して短くない人生において、できたことが一度もない。
私は、過去の失敗をいつまでも引き摺ってしまう。
中学時代、自分が女の子に対してとってきた厨二病のような態度を、私は何度後悔したか分からない。
本命じゃないからという理由で、義理チョコを頑なに受け取らないその惨めで卑屈な様は、何度フラッシュバックさせても虫唾が走るし鳥肌が立つ。
ただ、いくらこういった黒歴史をこれまでの人生に刻んできたからといっても、それはあくまで「過去の話」である。
むしろ、そういった過去があったからこそ、現在の自分が光り輝いている場合だってある。
にもかかわらず、いつまでもその過去に囚われている。
いつまでもその失敗に縛られて現在を生きている。
そして、そこから生まれた負の感情が、今現在の自分のパフォーマンスを下げているとしたら。
それは非常に不毛な行為である。
オナ禁に例えれば、前日のオナ禁リセットをいつまでも引き摺って、今日のタスクや将来の目標から逃げること。
これが一番勿体無い。
私は、このように自身が過去の過ちを度々後悔しやすいことに関して、それは「先天的な性格」のせいだと思っていた。
しかし、そんな単純な結論で終わらせてはいけないのである。
頻繁に過去の過ちを後悔する癖は、これまでの私が想像していた以上に、深刻な問題を引き起こしている。
それは、現在の自分を犠牲にするだけでなく、将来の自分の可能性すら潰してしまうという【最恐最悪の習慣】である。
人間誰しも、波があるものである。
よって、その失敗をいつまでも嘆く必要はない。
重要なのは、そういった努力が途切れた次の日にすぐ切り替えることである。
オナ禁だって、なにか特別な理由がない限り、元々永遠に続けられるものではない。
ダイエットに関しても、ずっと同じ減量飯ばかり食べられるわけではなく、どこかのタイミングで外食したり、家で好きなものを食べたいときや、食べなきゃいけない時が必ず来る。
何らかの理由で、どうしても運動ができない日だってあるだろう。
大事なのは、たとえ連日行っていた努力が1回途切れたとしても、そこで発生した遅れが本当に「瑣末」で「矮小」なものであるという当たり前の事実に気付くことである。
たった1日の遅れは、たった1日で取り返すことができるのである。
そうやって、間が空きながらもコンスタントに続けられている状態こそが、本来の努力の姿なのである。
死ぬまで永遠に続けられるのは、呼吸くらいのものである。
それ以外の理性を使うアクションは、どこまで気を付けていてもいつか必ず間が空く日が来る。
しかし、そのことを必要以上に深刻な問題と捉えてしまうと、前述したように、今現在の自分のモチベーションが下がってしまったり、巡り巡って将来の自分の可能性を潰してしまうことに繋がってしまう。
1週間の遅れを取り戻すには、1週間かかる。
後悔からくる負の連鎖は想像以上に止まらないので、やはり前日の失敗は翌日に取り返す方が良いだろう。
問題という木が大樹へと成長してしまう前に、まだ苗のうちに刈り取っておこう。
…このことを常に理解しつつ、これからも禁欲していこうと思います。
ほんとに死ぬほど切り替え下手なんでね。いつまでも引き摺っちゃうんで。メンヘラなんで私。
でも、つくづく思いますけど、たとえその習慣が途切れたとしても、期間全体で見て、同じ習慣が多めにできていれば、それは習慣が途切れたとは言わないですよね。
「俺、筋トレ5年やってるよ」って言ってる人に対して、「マジっすか!?1825日連続で筋トレしてるんすか!?マジやべぇ!!」とはならないですもんね。
仮に本気でその人が1825日連続で筋トレしてたとしても、その人って多分人間じゃないですし、参考にする必要ないですよね。いやマジで。もはや肉そのものになってそうだもん。
ということで、今日はこの辺で。あざした。