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絵が完成しない

最近、絵を描こうとすると、最後まで辿り着けないことが多い。

何故だろう…?

その理由を探るべく、手始めに過去の未完成時の状況を洗い出してみようと考えた。

直近の2つの状況をまとめてみたいと思う。

1.萌え絵的な女の子


絵の上達法を模索しているうち、さいとうなおき先生の動画に出会った。
すっかりハマり、見まくった結果、

…自分にも…デジタルで…萌え絵的なものが…描けるんじゃね?!

という妄想が湧いてしまう。
そしたら、確かめたくなってしまうのが人のサガ。
描けなくて当たり前、描けたらラッキー!!!

・何も思いつかない→『お題』の利用


早速描いてみようと思う。
思うが…明るく可愛く女の子を描こうという以外何も思いつかない。
ポーズや構図、服とかどうしよう…。

描きたいものはいつも完成形で頭の中に降ってくるタイプなのだが、自分の自由はきかないのだ。こういう絵が描きたいと頭で考えようとすると何も浮かばない。

うう~~ん、やる気だけは満ち溢れているのに…。

時間が経てばた経つほど時間は勿体ないし、やる気も削ぐ。迷いは時間と気力を削る

突如、世の中には『お題』というものがあるじゃん!とひらめいた。
探してみると案外早くしっくりくるものが見つかる。

早速『お題』にお願いして、問題解決。


・下描きさっくり



この時はお題に沿ってさっくりと描くことができた。下描き30分くらい。自分にしては早い方。

背景は白でいいや、あっさり終わらせよう、完成させるのを目標にして余計な作業を持ち込まないようにしよう!というのが当初の考えだった。

・『正しさの』発動


他の用事で作業出来ないでいる間に、当初の考えが頭からスッポリ抜けたのだと思う。いや、うっすら覚えてはいたのかもしれないけど、『やっぱり正しくなければ』が発動してしまった。

プリーツを資料集めからきちんとやりだした。プリーツの模型として紙を折ったりもした。

スカートをプリーツにすると大変なことになるから何となくフレアっぽい感じでいい、陰影は正しくなくても絵的にヘンでなければ今回は良し!
…だったのに、当初の目標からずれる


・ダウンへの道


時間がかかるわりに良くなるわけでもなく、何なら前の方が良かったようにさえ思う。

そして、ツイートにある通り「オモウヨウデナサ」がつきまとう。
作業していくうちにどんどん違う方向へ進んでいるような感覚だ。

髪の色は最初ぼんやりとピンクかなと思っていたが、やっぱり黄色がいいかななどと無駄に迷っていじりまくる。

そもそもデジタルは久しぶり、久しぶりじゃなくても操作性に難有りで問題が多発。作業がスムーズに進まない事でストレスはたまるし、時間もかかる。気力と時間の浪費が激しくなっていく。

そうこうするうちに体がダウン

自分でも忘れてたんだけど、長時間パソコン作業すると体調崩す体だった。
色ラフをしなかったから問題が発生しゃすかった事にも気づき、色ラフまで戻ろうと思ったが、一気に気力も尽きた。

そして『萌え絵的な女の子』はこのまま置き去りに。

2.みたらし雀


こちらは頭の中に絵が浮かんだタイプ。そのまま出力したい。

・まずはスケッチ


雀のフリー画像を探してスケッチ(鉛筆、透明水彩)するところから始めた。

みたらし団子はスケッチせず。
色々順を追ってやっていくとやる前に力尽きてしまう事が多々あるので、そうなる前に見切り発車でいいからやってしまおうという確信犯だった。

・色ラフ


頭の中にあるからあっさり描けると思いきやそうでもなかった。

最初頭の中に浮かんだのは色ラフのままの感じだったのだけど、色々な欲が出て余計な試行錯誤をしてしまった。

最終的には最初に浮かんだものをなるべくそのままの形で出力することに努める。

やってみて結構満足した。それなりに頭の中のものをだせたし、ふわもこみたらし雀が純粋にかわいーーと思った。

このままのイメージを壊さずに、ブラッシュアップしていけるのが理想。

・線画、そしてパースの旅


線画を起こす際、またもや『正しくなければ』が発動

半月盆に載ってるイメージだったけど、上手く描けないと歪んだ皿にしか見えないから楕円の皿にした方がいいかなと、自分のイメージよりも正しく描けそうな方を取った。

みたらし雀をちゃんとお皿に載せるためには、きちんとパースを取らねば!
とパースの勉強(元々ざっくりとは知っている)。


結局徒労に終わる。

戻ってきた時にはフラフラだったが、それでも今回はパースは必要ないと言い切れるところまで探ったので、それなりに充足感はあった。
今後似たようなパターンの時にパースは必要ないと判断できる。

ラフを見返すとじゅうぶん皿に載ってると思えたので、そこから線画を起こし直す事にした。

・色塗り、画材への疑問


選んだ画材は色鉛筆。
最終的に日本画にするなら今回は水彩の方がいいかなと思ったが、水彩は失敗率が高いので逃げた。
失敗して終わるより完成させる方がいいとの判断だった。

それでも、進めていって何か違う…となるのが嫌だったので、試しに1羽だけでみたらし雀を描いてみた。

まあ、いいかな。
起こした線画を色鉛筆で進める事にする。

色鉛筆は一気に進められないので、ちまちま塗っていく事になる。そこで自分の悪いクセがでてきた。
単純で時間がかかる作業はどうしても頭がヒマになってしまい、ロクな事を考えないのだ。
みたらし団子と雀の融合はちゃんと出来るのか、みたらしの照り具合などいちいち気になりだす。
そうすると1個だけ(細部)を進める傾向が強くなり、全体のバランスを欠く。
どこを抜いてどこを描き込むのか、引いた目で見れない。

色鉛筆は、ある程度リアルに表現しようするとどうしても『丁寧感がでる≒硬い雰囲気』になりやすい。表現したい方向性とずれている。それに細部を進めやすいので、自分の良くない部分を助長してしまっている気がする。

そもそも色鉛筆を選んだことが間違いなのでは?

という考えが頭の中をぐるぐるする。

また、みたらし団子をスケッチしなかった事が自分を弱くしていく。
描かなかったから良く描けないのではないか?

あと、これは本当に良くない事なのだが、最終的にこれを大下絵(日本画でいうところの原寸大のラフ)として日本画にしたいなあという気持ちがあった為、本番という意識が希薄だった。これを完成させなければという意欲が弱い。

『ただでさえ空想上のものを描くのだから、出来るだけ頭の中に近いみたらし団子をスケッチしないと!』という考えにまとまるが、『それにはまずみたらし団子を自分で作るところから』と直接絵に関係ないところに進み、粉を買ったところでストップ。気力が尽きた。

問題も多すぎて、続行する気にならなくなってしまった…。

■ まとめてみて思った事


以上が未完で放置されるに至った状況である。

大人になると、幼い頃とはまた違う感じに完成させられなくなるものなんだなーと、感慨深い(自分だけ?)。

子どもの頃は、興味の移り変わりの激しさや、飽きっぽさなどが多くの理由だったように思う。

大人になると、気力・体力の消耗、疲弊がまず真っ先に上がる。
それに加え、経験があるがらこそ先が見える事や、年月によって肥えた目が、これはもう良くはなり得ないと作品を放り出しやすくしてしまうのかもしれない。

などと、他人事のように興味深く語ってる場合ではなかった。
ちゃんと絵を完成させられるようになりたい


記事を書く時間があるなら、絵を描いた方がいいんじゃないか?

そう思っていた時期もあったが、今はまとめてみて本当に良かったと思う。

まとめてみると、自分特有のパターンというものが見えてくる。
それに、記事をまとめる時の欠点と絵の欠点が酷似している事にも気づいた。
それは作品をまとめるうえで邪魔になる思考のクセ、みたいなものが存在している事に他ならない。

自分の課題をとことん突き詰めていく事は、漫然と絵の練習を続けているよりもずっと有意義であったと今は思う。

今回まとめたものと最新の失敗を含めて分析を行い、次の記事で原因と対処法を探っていこうと思う。


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