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《繊乃月抄記》⑸


「いつかの月」
今年も中秋の名月が近付きました。昨夜も、未だ未練の帰らぬ夏のペルソナ・ノングラータ雷雨の訪れに辟易している夜なのです。
さて、今宵を照らすあの月はやがて旅人になる。それは〈いつかの月〉となり、思い付きで気ままに瞬き(まばたき)をするように数しれぬ艱難辛苦(かんなんしんく)を道連れにした旅人でもある。
数多の憎愛劇の遍歴が心身を蝕み削り息も耐え絶へに生きて耐えて行く。いつしか、血を吐く想いや泪も尽きて身体を覆っていた鎖の嵯峨も溶けていくのだ。
それはひたすら夢で見た〈想い月〉を探していた事を諦めずに憶えていたからなのだ。今でも探し続けてはいるが、やがていずれ記憶の星屑になるのだが。この長い旅は始まったばかりで、これからも探し続けて行くのです。《繊月抄記》


「偶には禅語でも」
『逢花打花  逢月打月』
(はなにあえばはなをたし、つきにあえばつきをたす)
咲いた花は美しい、月を見上げて月を思う。
出会ったことや見た事、感じたことをそのまま受取り、あるがままの私であること。あれこれ思い悩まず、そこにある世界を感じることを信じる、と言うのが本意らしいのですが‥‥
我が師匠の教えは更に深入りします。つまりは、ものはいつも絶えず変化し、この自分もいつも「新しい自分」を生きている。花の咲いている山に入ると、花が見えなくなる。あまりに明るい月を見ると、月が見えなくなるらしい。物事は少し引いて俯瞰して見た方が、よく見えるものだ・・・と教えます。
少し距離感を持って客観視せよという意味だと思います。

いつまでも迷ってばかりでは前に進めませんね。とりあえず文章を、詩を書こう、短歌を詠もうか。《繊月抄記》


「もののあわれ」
「もののあわれ」は、平安時代の朝廷文学を知る上で大事な文学的・美的理念なのです。しみじみとした趣や、無常観的な哀愁や、苦悩にみちた朝廷女性の心から生まれた生活理想や美的理念でもある。日本文化においての美意識、価値観に影響を与えてきたのです。源氏物語は最たる例と言えるでしょうね。
私は額紫陽花が好きなのですが、特に原種に近い山紫陽花で、その中では唯一香りがする小紫陽花は格別に愛しいのです。勤めてその時期には茶室の掛花として重宝しています。
何故だか日本の花が欧州から里帰りすると悉く派手に、しかも豪華になって店先を凌駕しているのです。私としてはあまり好きになれないでいる。
「もののあはれ」の感覚が日本人には意識しなくても感じる感性があり、外国では希薄なのだろうかとすら思えてしまう。あの凛として涼しく咲く山百合でさえ、豪華なカサブランカに変身してしまうのだから。あさましかりしことどもなり。《繊月抄記》


「答えは不意に」
テレビを見なくなって随分と月日が過ぎた。理由はあるとも無いとも言えないけれど、随分と以前の事で記憶が曖昧であるが、ある夜中に目覚めて砂嵐のような画面が突然プツリと消えて黒い画面から時々忘れたように遠ざかるヘッドライトが走るのだ。
言い忘れたことでもあったのかと注視して見ていたがそれきりテレビ画面は暗闇になってしまった。
きっと死ぬという事はこんな感じなのだろうかと、何となく疑問だった事が解けた気がした。不思議と恐怖ではなく安堵していた記憶がある。
「答えは不意にやって来るのだ。」ワタシはあれ以来テレビはほとんど見なくなって、今に到っているのです。《繊月抄記》


「回想」
師走になると「最後の夜汽車」や「かりそめのスィング」の曲が回り始めて来ます。
「氷のくちびる」を聞きながら甲斐よしひろさんの歌詞の源泉を見ていた。その後、いい人に巡り会えただろうか。《繊月抄記》


「深夜の永遠」
歳を重ねたからだろうと感じていた。最近では二度寝が染み付いてしまっている。
何時も深夜の二時頃が起床なのか先程の目覚めがおはようなのかわからない。
毎日二度来る目覚めが決して苦痛とは思わないが、誰かに呼ばれているようではあるわけですが何となく過ごせている。
つまりは一日で二度朝が訪れて過ぎて行く。そんな錯覚のロスタイムで与えられた日々を過ごしている。そしてまた、明日が今日になるのですが、明日を待ちながら初恋のあの頃が甦り愚かな期待を裏切られながら明日が来る事はなく、今日が繰り返す螺旋階段を歩いているのだ。
永遠とは、明日のことなのだろうかとふと、思ったりしているのです。《繊月抄記》

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