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「新月が来る」夏夜咄十一夜〜十五夜

文披31題 その十一夜「錬金術」

先日の茶室での会話で、師匠は私に雪乃さんとの関わりを予言したのかと思える言葉を残したのだ。
「茶人としては筋がいいけど女性に甘いのが良くも悪くもある。それに夢さんは茶道を生業にする訳じゃないからね。」
その時は、何時もの師匠の茶室での会話と気にも留めずにいたのだが。後になってよくよく考えてみれば師匠は私の素養をかなり正確に見抜いての発言だったのを、数年後に実感している。その眼力の鋭さには人としての奥深さに恐怖すら感じてしまうほどなのだ。私が茶道を生業にすると師匠が一番嫌っている茶人になるだろうと見抜いていたのだ。

師匠の嫌うひとつは、素性の分からない茶器やお軸の箱書きにそれらしい茶人や高僧の為書を付けて、客人や免許を与える弟子等に高値をつけ売り付ける錬金術なるものであろう。師匠の茶の湯は器等の茶器とかお軸にはそのような拘りのない思いが滲み出ている。特に銘とか為書きなどの箔付けには捉われないし、寧ろ評価の対象外なのだ。師匠の目差す茶道とは一番かけ離れている事だからなのだ。

その夜から何かに引き寄せられるかのように雪乃さんとの関わりが深くなっていくのだが、でも何故、私だったのか?偶然に桜門で出会ったのか?出会いとはこのような偶然から始まるのか、なんだかよく分からず不思議な気持ちでいた‥‥‥。


文披31題 その十ニ夜「チョコミント」

広告代理店の仕事の関係で私は銀座4丁目のデザインプロダクションにほぼ週に1、2度通っている。

代理店のアートディレクターとしての立場である。午前中はチームスタッフと打ち合わせで過ぎるのだ。
私は銀座に密かな楽しみがある。午前中の仕事を早めに切り上げてランチに行くのだ。このあいだの茶室での一件で気分はすっかりチョコミントのような甘くてにがい、しかも後味のスッキリした面持ちで仕事に打ち込める極めて単純でノーテンキなのだ。


お店は銀座5丁目のすずらん通りとみゆき通りの角にある。『銀座キャンドル』という名前の洋食屋さんで、私は席に着くなり脇目も振らずチキンバスケットを注文するのだ。 
おそらく生涯においてこのチキンバスケットを超える味に出会う事はない、と思えるほどに絶品なのだ。引き立てているのがフライドポテト、トーストそしてサラダが最高に脇役としてバランスよく輝いてる。特に輪切りの大きな玉ねぎのスライスが圧巻で脇役としては大スターなのです。このようなひと時だけで仕事の励みになるのだから私は単純と言えばそうなのであって、それまでの男なのである‥‥。

銀座キャンドル



文披31題 その十三夜「定規」

七夕の行事は旧暦なので、今では八月なのですが、なぜか語呂に合わせて今の七月に話題なる。何も定規で計ったように合わせて行わなくても良いと思っている。
七夕の前に、七十二候で雑節でもある半夏生(はんげしょう)の時候となり、旧暦では秋の走りなのですが、しかし、これから夏本番です。 そして半夏生が過ぎると七夕です。
半夏生は、この時期、茶室では好んで茶花として使われます。季節を感じさせる風情ある装いを演出してくれます。無為自然が加味されてこそ茶の湯の風流は成り立つのです。

一年に一夜と思へど七夕の 逢ひ見む秋のかぎりなきかな
桜花とく散りぬともおもほへず人の心ぞ風も吹きあへず

紀貫之の和歌二首です。桜は風により散ってしまうが、人の心は風が吹かなくても散ってしまう。この貫之の歌を受けて兼好法師は徒然草にこんなふうに書き残した。

風も吹きあへずうつろふ 人の心の花に 馴れにし年月を思へば あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから 我が世の外になりゆくならひこそ 亡き人の別れよりもまさりてかなしきものなれ

今を生きる人達の心はうつろいやすいが七夕のふたりはいつまでも普遍で変わらない。貫之は永遠の恋を思いながら天の川の星を見上げていたのでしょうか。

文披31題 その十四夜「さやかな」

かんがへて飲みはじめたる一合の 二合の酒の夏のゆふぐれ 

若山牧水のこの一首がとても心に沁みます。私もお酒がしんみりと呑める年齢になったのかと感じている。紀貫之、兼好法師等かつての歌人達はどのような想いで半夏生から七夕の夜に酒を飲み交わしたのだろうかと想像力を胡蝶の夢に載せて辿っている。なんとも心にしっくりくる心地良さに、お酒よりそれぞれの歌をさやかな一時酔ってしまうのです‥‥。

夏の夕暮れに半夏生を床花として飾り、蛸の刺身をつまみにして冷酒で過ごすひと時こそ風流の極みではないだろうか。半夏生と七夕の時期となり、今宵は月を見ながらの風情を思う夜咄になっただろか。


文披31題 その十五夜「岬」

雄大な花火は言い尽くされて、今更ここで紐解いても野暮と言うものだが、その雄大さと正反対のもっとも小さくて儚き花火に繰り広げる人の思いを話してみようと思う。 
教室を終えて半東さんが手に小さな紙袋を持って私の居る茶室の待ち合いにやって来た。
「夢さん。はい、彼女からの贈り物ですょ。ふふふ」
「えっ、どなたですか?」
「雪乃さんからですよ。彼女は用事があるからと言って、私にお願いするなり楚々と帰られましたよ。うふっ。それでは、夢さん、預かり物は渡しましたからね。」
「あっ、はい。ありがとうございます。」
意味も分からずぼぉ〜っとしている私に構わず半東さんは戻ってしまった。ともかく包みを開けて見ると茶匙(ちゃさじ)の箱くらいの桐箱があった。蓋に「撫子 なでしこ」と筆文字の洒落たラベルがある。如何にも女性が好みそうなデザインである。蓋を開けて中身を見れば、和紙で出来た撫子らしい紙細工がある。説明書と書き込みの出来るカードが2枚あった。説明書には花火とあり、なるほどと思わせる説明がある。さて、カードであるが一枚は短歌が一首綺麗なペン字で書いてあった。残りは白紙である。

撫子の花火ひとひら点すとも 儚き想い受け止めもせず |雪乃

桐箱の品物を覗きながら、あっと気付いたのだ。中身は上品な線香花火なのだが、なんと然も一本抜いてあるのがわかった。短歌とこの桐箱の謎の意趣を理解するのに暫くは頭の中は霧に覆われて、海に突き出した岬の先で考え込むような自分から戻れないでいた。夜になり短歌の意がそれとなく理解できてきた。それが独りよがりの思い込みでなければきっと告白の歌を差し込んで来たのである。

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