その如月の朔月のころ

「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」

歌人は嘗て、その晩年に自身の思いをそう詠んだ。
言わずもがな、その歌人とは「西行」である。
その「如月の望月のころ」とは旧暦の2月15日なのだと言う。
そして、本邦でその日2月15日は、釈迦の入滅の日とされている。この日、涅槃会(ねはんえ)が催されるのはそういう理由からだ。

また、上掲の「花」とは桜のことである。
詰り、桜の下で春に死にたい、そう西行は詠ったのだ。

そんな釈迦の入滅日に死を願った西行だが、彼は文治6(1190)年2月16日にこの世を去っている。どうやらその願いは叶ったようである。
果たしてそれが「桜の下」であったかは分からないが。

さて、15、16と来て、17と続く訳だが、今日2月17日はある人物の誕生日である。
その人物とは「桜の下」に死体が埋まっていることを世間に知らしめた天才だ。

梶井基次郎である。

彼は、明治34(1901)年2月17日、大阪に生まれた。
満月カレンダーに依るとこの日は新月の2日前になる。

私は、そんな梶井基次郎作品のファンであり、そのことを公言して止まない者だ。彼のもので、嫌いな作品などひとつもない。しかし、苦手に思う作品はある。
「蒼穹」だ。

『……三月の半ば頃私はよく山を蔽った杉林から山火事のような煙が起こるのを見た。それは日のよくあたる風の吹く、ほどよい湿度と温度が幸いする日、杉林が一斉に飛ばす花粉の煙であった。しかし今すでに受精を終わった杉林の上には褐色がかった落ちつきができていた。……』(梶井基次郎「蒼穹」より)

長年花粉症を患う私にとって、この一文は正に涙を禁じ得ないものだ。そうしてそれは必ず嚏鼻水を伴う。
何しろ、字間行間から杉花粉が煙ってきて、字面だけでアレルギー反応が起こる。堪ったもんじゃない。

梶井め、俺を殺しに来やがった、と思うのだ。

それはさておき、今日2月17日は上述通り、梶井基次郎の誕生日である。
そう言った訳で私は皆に、今日は是非、彼の作品を手に取って欲しいと思うのだ(青空文庫で無料で読める)。

何はともあれ、お誕生日おめでとうございます、梶井基次郎。

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