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反省だけならサルでもできる?

みなさんおはようございます。本日は反省だけならサルでもできる?と題して話をしたいと思います。本当にサルは反省ができるのだろうか?と最近思わされることがありました。「ケーキが切れない非行少年たち」という本を以前読みましたが、あの本を読む限り、反省するということはかなり高度な行いであり、まず自分を客観視し何が問題であるかを認識しなければならないとのこと。

しかし、境界知能にあった非行少年たちは残念ながらなぜ自分が少年院にいるかということが性格に認識できなかったそうです。犯罪行為を行っても、それの善悪すら判断できなかったそう。であれば反省しようにも、なぜ自分の行為が悪いのか正確に認知できないため、反省などできようはずがありません。

よく反省ならサルでもできると言ってバカにする人がいますが、まず反省という行動はかなり高度な行いであることを認識する必要がありそうです。まあそれにサルに失礼な言い方だわな、っても思います。サルが反省できるのかどうかは分かりませんが、個人的にはサルの方が頭いいのでは?と思うことが多くあります。少なくとも厳しい自然界で生存していけることだけを考えても人間より優れていると言ってもいいでしょう。

というわけで、人間社会においても反省するということはものすごく高度なことであることが言いたいわけですが、認知が歪むということの恐ろしさも同時に本から学ぶことができました。それに実にしょーもないことですが、こういった慣用句が本当に正しいのか?と最近疑問に思うことも多くあります。実は間違っていた慣用句はいくつかあったのも事実です。例えば対岸の火事という言葉ですが、最近では対岸にいようとも火事に巻き込まれる可能性は十分にあるということです。話が広がりすぎるので、軽く述べるだけにします。

いずれにせよ、最近はこういった慣用句に疑問を持ち出しています。その慣用句は本当に正しいのか、なんて考えたりもします。今回紹介した言葉は、反省だけならサルでもできるという言葉でしたが、人間でも反省できない人は多くいるという現実を考えると、サルが反省できるのか?とも思いました。というのも、彼らは生存することで精一杯です。そんな彼らが反省などしていたら生存できないのでは?といった素朴な疑問を持ちました。

では本日はこれにて。どうも最近はいい文章が書けなくなっているな、と感じることが多くなりました。

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ブルーベリー博士(家庭菜園投資家)
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