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日本国憲法の問題点

みなさんおはようございます。私がいつもお世話になっている真理花さんが新しい政治の記事を書かれたので紹介させてください。

こちらの記事は現在の日本国憲法についての思うところが書かれています。一言で言うなら、国家観を明確にした自分たちで作った憲法が必要だ、ということです。それについては確かにその通りだと思います。戦後の混乱期に作られたまま放置された憲法であって現在の価値にそぐわないものも多いでしょう。そこに関してはどんどん議論すべきものでしょう。

別に私は憲法9条が問題だから改正しろ、と言いたいわけではありません。憲法9条は例えとして分かりやすいからここでは挙げますが、これだけ賛否の分かれる問題であるのもかかわらず、全くと言っていいほど議論されることがありません。もしこれが国民投票によってそれでも憲法9条が必要だと判断されたのなら、それは必要なものなのでしょう。しかし、今まで全く手を付けずにほったらかしにされてきました。これは大問題でしょう。実際憲法の解釈を変えていい加減なままにしてきています。そのせいか、他の条文だって解釈を変えるだけで全く正反対のことを主張しているのだから、憲法の意味があるのでしょうか?はっきり言ってないと言えるでしょう。これだと法律を作っても恣意的に運用されることになるでしょうね。

とにかく国家観も持たず、憲法について真剣に考えて来なかった国民や国会議員の怠慢と言っていいでしょう。何度も言いますが、私は改憲が必要とか不要ということが言いたいのではありません。必要かどうかの議論をしましょうと言っています。そうして国民投票まで行うまで持っていかなければならないでしょう。もしそれでも現行憲法がみんなで守ろうという結果になれば私もそれに従うことでしょう。しかしこれだけ何もせず80年ほど経過させてしまっているというのは危ない気がします。

実際先にも述べたように解釈を変えてまるで正反対のことをしているなんてことも多いです。例えば外国人に対する生活保護などです。現在の裁判所の判断では、外国人への生活保護は憲法違反だとされています。もしそれが必要だと思ったのなら憲法の改正が必要だと思います。その他にもLGBTなどのセンシティブな問題もあります。とても現行憲法では対応できないものになってきています。そこも深い議論が必要になるでしょう。

このように明確な国家観を持たないからこそ起きている問題であると言えます。占領軍が作った憲法だから変えろとかそんな単純な話ではありません。ほったらかしが一番いけないと言っているのです。国家観という意味では、暴力革命を起こそうと考えていて、その原理原則に従い行動している共産主義者の方がまだ筋が通ります。まあ個人的に暴力革命は受け入れられませんが。

このように国家観のない憲法は憲法と呼べるのか疑問です。憲法は権力者たちを縛るためのものだから国家観は必要ない、という意見もあるでしょう。ただ現実的に解釈で判断を変えるということからも分かる通り、権力者を縛れていないのだから機能していないと言ってもいいでしょう。お飾りの憲法なら必要ないと考えます。

どういう経緯で憲法が作成されたとかを考える前に、憲法の意義についても含めてどんどん議論していく必要がありそうです。まずは議論しよう。本当に必要な憲法なら意地でも残そうと行動すべきです。それに気づかせてくれたのが今日引用した記事です。

十人十色という言葉がある通り、それぞれで考えがあるのだから、そこを議論によって着地点を見出すことが何よりも大事なのではないでしょうか?今後も民主主義の国でありたいのならば、議論は避けられません。他力本願こそが最大の問題だと言えるでしょう。

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