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ある日の読書 『歳月』茨木のり子

12月21日(土)
元気になってきたけどまだ大人しくしていなきゃいけない。夫が出かけているときに読もうかなという気になった。何編かはぱらぱらと既に読んでいるけど、それでも毎回泣いてしまうくらい好きな詩集。

『歳月』茨木のり子

絶版なので復刊ドットコムから投票しておいた(『歳月(茨木のり子)』 投票ページ https://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=70257 @fukkan_comより)。わたしは通販で手に入れてしまったけど流通してほしい……。

夫を結婚25年で亡くし、そのあと31年という長い歳月の間に書き溜めた詩、と解説にはある。結婚していた期間をこえる長さの歳月で想いを馳せていたんだな……と思うけど、わたしなんかでもその思いが全く薄まらないことはよく分かる。そして実際に標題となった「歳月」という詩でも語られている。

茨木のり子さんの詩との出会いは「わたしが一番きれいだったとき」を教科書で読んだときだった。悲しい詩だったけれど、その女らしさや「生」を隠さないまま、戦時中を綺麗な言葉で語るひとがいるんだと衝撃的で、いちばん好きな詩人だったし、いくつか既に詩集も読んでた。でもたまたま本屋さんで『作家の手料理』(平凡社)というアンソロジーを手に取ったら、「梅酒」の詩が載っていた。茨木のり子さんのこの詩知らない!こんなに素敵なのに!と思って、出典を見たらこの本が出ていた。詩に出てくる高村光太郎さんの詩も覚えがあって、すごく心打たれた。以下引用。

梅酒

梅酒を漬けるとき
いつも光太郎の詩をおもいだした
智惠子が漬けた梅酒を
ひとり残った光太郎がしみじみと味わう詩
そんなことになったらどうしよう
あなたがそんなことになったら……
ふとよぎる想念をあわててふりはらいつつ
毎年漬けてきた青い梅
後に残るあなたのことばかり案じてきた私が
先に行くとばかり思ってきた私が
ぽつんと一人残されてしまい
梅酒はもう見るのも嫌で
台所の隅にほったらかし
梅酒は深沈と醸されてとろりと凝った琥珀いろ
八月二十八日
今日はあなたの誕生日
ゲーテと同じなんだと威張っていた日
おもいたって今宵はじめて口に含む
一九七四年製の古い梅酒
十年間の哀しみの濃さ
グラスにふれて氷片のみがチリリンと鳴る

『歳月』pp.94~96

ジュンパ・ラヒリの『停電の夜に』でも別れる前に奥さんが作っておいた作り置きという描写がしんどくて好きだったけれど、飲み物食べ物ってそれらを摂取して生きていく人間のほうが圧倒的に長い期間を生きそうなものなのに、それが逆転するってことが表す時の流れと生活感のギャップが印象的で好きなのかな。生活感をもって悲しさとか愛情を表現するのが好きなのかも。

ストレートに夫を想っていて、でも悲嘆にくれているばかりではなくって、でもときどき「あれがいけなかったのかな」なんて絶対に関係ないことを後悔してみたりするところが、本当に普通の、心細くそれでもゆたかに生きている女性。しかもこれらの詩が書き留められた原稿、「Y」(旦那さまのイニシャル)と書かれた、愛用の無印良品のクラフトボックスに入ってたんだって。好きすぎる。生活感と、悲しさと、愛。
無印良品だって旦那さまがなくなったときにはまだなかったんじゃないだろうか、と思って調べたら、旦那さまが亡くなったのが1975年で、無印良品が1980年だから意外と近くて驚いた。とはいえ死後だし、クラフトボックスを愛用していたのはもっと後だろう。

夫を亡くすなんてことを一ミリでも考えるといつでも号泣できるわたしとしては、この本は一人きりの夜とかではなくて、晴れた休日の、呑気な理由で夫がお出掛けしているときに読むに限る、と思って、夫が一人で無料の市民コートにバスケをしに行った(元気すぎ)今日の午後、いまだと思って読んだ。やっぱり泣いた。
孤独になってからではなく、一緒にいるうちから読んでおいて、胸の中に大事に想っておきたい詩ばかりです。



歳月 茨木のり子 花神社
※絶版


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