アーレントの全体主義批判


アーレントの思想的課題は20世紀の惨劇を生んだ全体主義の原因は何か?どうすれば防げるのか?というものです。
アドルノ&ホルクハイマーと似たような問題意識ですね。アドルノ&ホルクハイマーは精神分析を活用した社会哲学によってこの問題を考察しましたが、アーレントは歴史研究や政治学の視点から取り組みました。

今回取り上げるのは『全体主義の起源』、『人間の条件』、『革命について』です。

『全体主義の起源』

『全体主義の起源』はタイトルそのままドイツの全体主義がなぜ発生したのか歴史的に考察したものです。

全体主義は近代になって起こった現象ですので、アーレントは近代国家の理念と実質を考察します。
理念:領域内の住民全てを民族的帰属とは関わりなく法的に保護する
実質:民族的帰属を同じくする特定の「国民」に保護を限定する

近代国家の実質から見れば、国民の規定からからはみ出した者は「人間」ではないので排除の対象となり、ドイツでは反ユダヤ主義として現れました。

反ユダヤ主義に伴う全体主義は個人のアトム化によって起こります。アトムとは原子のことであり、近代以前は共同体に埋め込まれていた(分子的な?)人間が、共同体から切り離された状態を指します。アトム化は主に経済と政治の面で進みます。

経済では、スミス以来の分業体制の発展によって人々を結び付けていたギルドや労働組合を衰退します。政治の面では、政府が役割を拡大する中で市民的自由を訴えるために連合していた市民はバラバラになります。政府が大きくなっているので市民たちでまとめった権利を主張するより役所にかけこんだ方が話が速いからです。

その結果、個人は近代国家の主人である意識を失い、現実的な利益ではなく世界観的な原理(世界や社会の本来のあり方や民族的使命)などを唱える世界観政党が台頭し、全体主義が生まれます。アトム化した個人の寄る辺なさを埋め合わせるために世界観が打ち出されるからです。

『人間の条件』

『人間の条件』では個人のアトム化のプロセスが違う角度から、詳細に分析されます。
アーレントは人間の行為を労働・仕事・活動の3種類に分けます。
・労働:人間の肉体が生命として生きていくのに必要なものを作る過程
・仕事:自然環境にはない人工物を作成し、「人間の世界」を作る過程
・活動:「世界」には自分ひとりがいるわけではなく、複数の人格が存在していることを了解したうえで、互いの違いに影響を与えようとする過程

具体例で言えば、労働は農業や狩猟採集、仕事は建築やインフラ整備、活動は政治や言論活動、その他自己表現です。ただし、この区分はイメージを持ってもらうためであって、厳密なものではありません。その理由は後術します。

アーレントは全体主義に批判的ですから活動を評価します。全体主義が個々人を同じ世界観でまとめるのに対し、活動は個々人に差異があることが前提だからです。
アーレントは活動を古代ギリシアのポリスに見出しました。その社会的条件は公的領域と私的領域の区別です。
ただし、この区別は現代の私たちとは若干ニュアンスが異なります。古代ギリシアにおける公的領域は、身体的・経済的制約から自由になった個人が共同体善について討論し合う場です。活動が行われるのは公的領域です。

反対に、私的領域では物理的な暴力による支配が行われます。具体的には奴隷を支配し使役することで経済的利益を得るのです。公的領域が経済的制約から自由になった個人によって営まれる以上、私的領域における暴力が前提されています。スミスの唱えた分業は古代ギリシアには存在せず、各家でのオイノミクス(家政術)があるのみでした。

近代はこのオイノミクスが社会全体に展開された時代です。分業が行き渡りすぎて、誰もが自分の職をこなすだけでは、自分の物質的必要を満たすことは出来ません。給料からお金を支払って商品を購入する必要があるからです。その意味で、貨幣を媒介するとはいえ、すべての職がアーレントのいう意味での労働となったのが近代です。労働のイメージで農業を掲げたのが不適切だと言ったのは、近代ではすべての職が労働だからです。

これによって、誰もがある程度は経済的な利害関係に縛られるので、ポリスの共同体善を考えるという意味での政治は不可能になり、政治は社会の利害調整の場となります。
言い換えれば、すべての個人が損得という1つの価値基準で行動するようになってしまったので、自分にとっての利益を代表してくれそうなポピュリストや世界観政党が台頭するのです。

『革命について』


『革命について』では、どのような”政治”を営めば全体主義が起こらないのか、フランス革命とアメリカ革命(イギリスからの独立)を比較して論じられています。

フランス革命は解放の思想が中心にありました。つまり「外的な障害物を除去しさえすれば、人々は自由な状態へと自然に帰還する」というルソー的な疎外論がベースにあったのです。ルソーと言えばピティエ(弱者への共感)と一般意志(共同体にとっての一致すべき結論)です。フランス革命思想によれば、第三身分(農民)に代表される弱者にピティエを働かせることで、弱者救済を一般意志とすべきだそうです。これの問題点は、一般意志を採用することで弱者救済に賛成しない者を排除してしまうことです。実際、フランス革命は内ゲバが絶えませんでした。

これに対してアーレントはアメリカ革命を古代ギリシアのポリスの再現だと見ていた節があります。アメリカは移民の国ですので、アメリカ革命においては様々な出自や価値が前提とされており、彼らが「憲法」の中に自らの政治的アイデンティティを見出し、その「憲法」を積極t系に守っていこうとする共和主義的姿勢を見せたのです。

アーレントの活動は、人間の差異が前提にありそこからポリスの共同体善を知るために討論し合うというものでした。アメリカ革命でも差異ある人々が集い、共同体善が憲法という形で表現されています。アーレントは自由を束縛からの解放と言うよりは他者との対話を通じて共通の価値観を構成するものであるといいたかったのではないでしょうか。そして、それが全体主義を防ぐものであると。

参考文献
仲正晶樹 今こそアーレントを読み直す 2009 講談社
上野成利 暴力(思考のフロンティア) 2006 岩波文庫

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