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イスラム教ではなぜ政教分離が困難なのか?
イントロダクション
こんにちは、こんばんは、おはようございます!Renta@マレーシアから国際関係について伝える人です!
今回から、現代のマレーシアやその政治体制について書いていきます。その中でも、今回はマレーシアの連邦宗教であるイスラム教がテーマです。今回のnoteを読むメリットはこちら!
イスラム教はなぜ政教分離が困難なのかが分かる
イスラム教と世俗国家・キリスト教を比較することで、イスラム教の特徴がわかる
それでは早速始めていきます。
そもそもイスラム教とはどのようなものか
イスラム教には政教分離が存在しません。これを示すために日本との比較をしてみます。日本は世俗国家と言われています。日本では、日常生活が宗教によって規定されるということはほとんどありませんよね?なぜなら日本では日常生活は、世俗的な憲法や法律、もしくは常識によって規定されているからです。
また、日本では法律に従わなければ罰せられますが、法律を破ったら日本人と見做されないかというと、そうでもありません。ここまで述べた日本での生活をもとに、イスラム教の特徴を見るとわかりやすくなると思います。
上で述べたように、イスラム教には政教の区別がありません。これは言ってしまえば、私生活や商売などの公共領域・政治などの公的領域にまで、イスラム教の影響力が及ぶということです。そして、その分離が難しいのがイスラム教の特徴です。
なぜイスラム教では政教分離が困難なのか
政教分離が難しい背景は以下です
イスラム教徒は、コーランやハディース・イスラム法の遵守によって信仰心を示す
コーラン・ハディース・イスラム法がそもそも私的領域から公的領域まで定めている(婚姻や金融など)
ゆえに、コーラン・ハディース・イスラム法に従うという形で信仰心を示すしかないので、私と公が区別されない。
そして、イスラム教の信仰の源泉が宿命論的予定説である
それぞれ説明します。まず、イスラム教徒は神への信仰心をその行動によって示します。どんな行動かというと、イスラム教が定めている決まりを遵守するということです。その決まりが、主にコーラン・ハディース・イスラム法です。コーランはキリスト教でいう聖書に当たるものです。ハディースはイスラム教の預言者ムハンマドによる言行録です。イスラム法は、コーランとハディースを基盤としたイスラム教徒が守るべき法律です。
これらを遵守するという行動によって、イスラム教徒は信仰心を示します。逆に言えば、どれだけ内面では信仰していても、守れていなかったらダメなのです。これは、ある意味でキリスト教と対照的です。なぜなら、キリスト教に大事なのは神を内面で信じることだからです。その心があれば、現世での行動は問われません。だから、世俗的な法律を国ごとに定めるということが可能なのです。(イエスが「神の物は神に、カエサルの物はカエサルに」と言ったように。)
※コーランやハディース・イスラム法では例外規定が存在しています。例えば、ラマダンという断食がイスラム教にはありますが、子供や旅行者は免除されます。このように例外規定が設けられているので、何が何でも厳格というよりは、柔軟な面も持ち合わせています。
逆に、神を信じているかどうかが内面の問題だからこそ、ヨーロッパでは魔女狩りが起きたとも言えます。たとえ魔女である疑いをかけられた人物が、毎日聖書を読んでいたとしても、神の名において疑われたこと自体が罪だとされてしまうからです。このようなことは、イスラム教では起きづらいのです(教義上は)。
次に、コーラン・ハディース・イスラム法は私的領域から公的領域まで定めています。私的領域でいうと、イスラム教ではハラルというものがあります。イスラム教において、食べることが許されている食物をハラルフードと言います。ということは、食べてはいけないものも存在していて、豚肉が代表例です。公的領域では、婚姻の一夫多妻制や利子の禁止などが挙げられます。
というわけで、イスラム教では
1.行動によってしか信仰は示せないこと
2.コーラン・ハディース・イスラム法が私的領域から公的領域まで定めていること
によって政教分離が難しくなっています。
例外規定があるとはいえ、世俗国家に住んでいる日本人からするとイスラム教は厳しく見えるところもあると思います。では、イスラム教徒はなぜ行動による信仰を示そうとするのでしょうか?
宿命的予定説がキーワードになります。宿命的予定説は以下のようなものです。
この世の運命、すなわち人間の宿命(天命)に関しては、すべて神が決定なさる。だが、来世の運命に関しては因果律が成り立つ。
まず、予定説とは「神が救済する人間は、最初から決まっている」ということを指します。逆に因果律とは「善行を積めば、神が救済してくれる」ということを指します。イスラム教の考え方は、これを連結したものです。現世では予定説、来世では因果律が働くと考えられています。
つまり、「現世において救済される人間は決まっているが、現世で信仰心を示せば来世で神が救済してくれる」という風にイスラム教では考えられているようです。
これがイスラム教徒がイスラム法を遵守する教義上の理由です。
まとめ
まとめると、イスラム教において政教分離が困難なのは、私的領域から公的領域までコーラン・ハディース・イスラム法によって規定がされており、その規定を遵守することが信仰心を示す方法だからです。
だからイスラム国家という時、単にイスラム教徒が多い国を指すのではなく、イスラム法によって統治がなされる国家のことを指す人もいます。
今回はイスラム教の理論的な話をしました。次回は、マレーシアではどうなっているのかを見ていきます。最後まで読んでいただきありがとうございました!
参考文献
小室直樹著 ”日本人のためのイスラム原論”