「1973年、秋は窓の外を通り過ぎる...村上春樹と青春...」心に浮かんできた言葉(034)
こんにちは「てると大吉」です。
先日、火星の夕日は青いことを知りました。もし、地球の夕日も青色とか、緑色だったら、清少納言は「秋は夕暮れ」と書いたでしょうか。
さて、秋の描写というと思い出す文章があります。それは村上春樹の*『1973年のピンボール』の最後。
☆双子の姉妹と暮らしていた僕。秋の朝、バス停で彼女たちと別れます。
どうして秋になるとこの文章を思い出すのだろうと、不思議な気持ちになります。もしかすると若いころの経験と結びついている・・・。
たぶん僕が「青春が終わってしまう予感」を感じていた頃に出会った作品だから。
大学生のころの僕は「僕の居場所はどこなのだ」「僕は何者なのだ」などといった、いささか抽象的な想いが心に溢れていました。(それは今も心のどこかにあるのかも知れませんが・・・。)
その想いに自分なりの決着をつけた大学四年。その年の秋につながるのがこの作品なのかもしれません。いろいろな選択肢があったはず。最後は自分が納得するほかないのだと自分に言い聞かせ、ひとつの道を選択したこと。それを僕は秋の光のなかで実感していたのでしょう。
その想いは透明な膜のように僕を包んでいました。
何かを選ぶことは、選ばなかった何かと分かれること。誰かを選ぶことは・・・。若いころはそう考えていました。今なら「そんなに単純じゃないよ」とあの頃の僕に言ってやりたい気もします。
改めて『1973年のピンボール』を読んでいると、ずいぶんと遠くまで歩いてきたなぁという想いと、僕は相変わらずだなぁという想いなどが彩雲のように混ざり合い、それはそれでいいではないかと納得している僕がいました。
確かにそこにあったはずの時間。
そしていま僕はここにいる。それで充分です。
いささか感傷的な独り言です。ご容赦を。今週も読んでいただきありがとうございます。どうぞ良い一週間をお過ごしください。ー2024.11.11ー