私の私による私のためのやることリスト#38
#38 人前で歌を歌う
人前で歌を歌う。
「何だそんなことか」と思う人もいるかもしれません。
けど僕にとっては全然そんなことではないのです。
僕は本当に人前で歌を歌うことが嫌です。
なぜなら僕が歌が上手いわけではないから。
人よりも歌える音域が狭く、息も続かない。
それなのに何で醜態をさらすような真似をしなければならないのか、と感じるのです。
これだけではありません。
もっと重大な問題は僕が「声」というものに対してコンプレックスを抱えているから。そう思うような出来事があったからです。
僕は小学生の時からサッカーを始めました。
ゴールキーパーをすることになったのですが、このポジションは味方にたくさん指示を出さなければならないポジションです。
僕は頑張って指示を出しました。
でもどうやら僕の声は小さくて届かないらしいのです。
「声出せ!」「小さいって!」
そう大人から怒鳴られて僕は怖かったのです。
怒鳴られるのが怖く、自分の精一杯声を出すというストレスフルな環境で時間を過ごした結果、僕の中に「声が小さい」というコンプレックスを生み出しました。
今でも「声が小さい」と言われると条件反射的にズキっとします。
まあ事実を言われているだけではあるのだけど、どうやらまだ自分は事実だよねと割り切ることができていないようだ。気にしている。
そんなこともあり、僕にとって人前で歌うことはものすごくハードルが高いことなのです。
実際カラオケに歌いに行ったことはないですし、たとえ家で家族から歌ってよと言われても歌った記憶がないです。
とここまでの内容だけだったら別に今回の文章を書いていません。
実は現在大学でとっている授業にミュージカルの授業があります。
始めは座学でミュージカルの歴史などを学んでいたのですが、なんと最後の授業で発表の舞台があるというのです。注意不足、、
単位の兼ね合いその他諸々の事情があり辞める訳にはいきませんでした。
そうです、歌わなければならないのです。
曲ももう振り分けられてしまいました。
一番初めの練習の日のこと。
自分以外にももう一人同じ歌を一緒に歌う人がいるのですが、その人がいませんでした。それなのに自分の練習の番が回ってきました。
僕は今何をするのか分からないふりをして歌いませんでした。
「どうにか歌わないことはできないか」と。
ですがその後よくよく考えました。
もう決まったことだし変更はできない。舞台を創り上げる一員なのだ。
という社会的な役割の要素。
このまま逃げていいのか。
挑戦するべきなのではないか。
という自分との闘いの要素。
僕は腹を括りました。
そして二回目の練習の時、勇気を振り絞り、半ばどうにでもなれと思いながら歌いました。一歩踏み出せました。
そして三回目の練習の昨日、緊張はあるものの抵抗は治まり、頑張って練習出来た感覚があります。
まずやってみること。一歩踏み出すこと。
そして続けてみること。
これは自分に自信を与えてくれるのではないかと感じました。
三週間後の本番頑張ります。
「歌っているだけでまずはエライ!」と言い聞かせながら。
読んで頂いた皆さんありがとうございました!
ps.解決策の一つとして歌を歌うこと自体を「上手いかどうか」よりも「楽しい」と思うことができたら楽になるのではないかと思いました。
小さい頃の僕はおばあちゃんと電話を繋いで、そこできらきら星を歌っていたこともあるらしいけどそれは楽しかったのだろうと思う。
何が「上手い下手」を助長している?
点数を出さないカラオケとか一定層に刺さりそう。