人付き合い
年をとるにつれ、友達を作ることができなくなっていった。学生時代はどうしていたんだろうと思い返したが、学校は同じ年齢の人間が、同じ時間、同じ内容を、大体同じようにやっているから、なんか自然と話したり接したりしてるうちに友達になっていたんだなぁ、と思う。
今まで生きてきて友達作りのための努力をしてこなったことに気づいた。と同時に、「俺はこの人と友達になりたいのか?」なんて思うようになった。友達になりたいからなる、というより、気づいたら友達になっているようなものじゃないのか?とか。
拗らせたフリーターがここに爆誕してしまった。
そもそも学生時代も社会人時代も人に囲まれた経験がない。なんということだ。しかし誰かに聞いてほしいこともある。どうしたらよいのだ。
なんというか、俺のような陰気で一人突っ立っているようなやつに親切にしてくれる人には、すでに大勢の友達がいて、俺はその大勢のうちの一人、さらにカーストでいうところの最下層あたりにいるんだろうな、などと思ってしまうのだ。人と深く付き合うこと、人に自分を知ってもらおうとすることに、ストレスを感じるようになってしまった。
ある時から人を名前で呼ぶのが苦手になった。大人になってからだろうか。友達が欲しいと思いながらその実俺が欲しかったのは「俺にとって都合のいい誰か」だと気づいたときから、より人付き合いが億劫になり、人のことは苗字、頑張ってもあだ名、立場関係なく敬語で話すようになった。
これはこれでいいんだと思う。別に友達がいないから何がペナルティがあるとかもないし、その分本を読んだり映画を観たりする時間も増えた。これはこれで幸せなことだ。
幸せは幸せだが、やはりどこか寂しい。
どこかにいないだろうか。美人で、ナイスバディで、お金持ちで、俺の言うことを全部聞いてくれる女の人は。いねぇか。いねぇな。
人付き合いには凄い力があるらしい。人付き合いが仕事になり、夢になり、生活になるんだそうだ。俺はまだ何も経験してないから、いずれ俺が人に囲まれ、または誰かを囲んで、人付き合いによってもたらされた毎日を送るようになれた時、今日のこのnoteを思い出すんだろう。
俺は今確かに孤独だ。仕事にしろ休みにしろ、誰かとつるむことはない。
しかし孤独も味わいようだ。孤独には孤独の楽しさがある。俺は今孤独を楽しむことができるのだ。この寂しさも、この心地よさも、全て俺のもの。
そしていつか巡り合うかもしれない友や恋人に、思いを馳せるのだ。