私がイッキ読みした本③ 『Nのために』
湊かなえさんの『Nのために』。
今年の大河ドラマ「光る君へ」を観ながら、私は主人公のまひろ(紫式部)と藤原道長が深い繋がりを持つ1番最初の出来事は「罪の共有」かもしれない、と思い、『Nのために』で描かれる「罪の共有」とは何を指すのか確認するためにを再読しました。
はじめに
元々は学生の時にドラマ版「Nのために」にハマり、原作ではどのように描かれているのか気になって、社会人になり原作を読みました。
原作とドラマでは、やはりドラマの方がオリジナルの脚本で展開する場面が所々あったので、個人的には、ストーリー内の気になるところをスッキリさせたいと思う方にはドラマを、謎は謎のままで、読者の想像にお任せするスタイルの解釈が好きな方は原作を、おすすめします!
「光る君へ」で感じた「罪の共有」
今年の大河ドラマは先程も述べたように、まひろ(紫式部)が主人公で、幼少期のまひろと道長の関わりから描かれています。
幼少期のまひろと道長の関わりは、史実にはないオリジナル脚本の内容にはなりますが、その中でまひろの母が道長の兄・道兼によって殺されます。その原因は、道長に会うために急いでいたまひろが、馬に乗っていた道兼とぶつかりそうになった(加えて、その時道兼の機嫌がすこぶる悪かった)から。
まひろと道長の間では身分の違いがあるため、まひろは母が殺されたことについて大っぴらに出来ず、道長の家族は下級民を殺したところでどうと無いと、身内の中で無かったことにしようとします。
そのため、「まひろの母親」が「道長の兄」に殺されたという具体的な内容は、まひろの家族と道長しか知らないこととなります。
この過去の事件を告げたまひろは、「兄(道兼)はそんなことをする人間では無い、と言わないのか」と道長に聞くと、道長は「まひろの言うことを信じる」とまひろの言葉を信じて、好きな女の子の家族を自分の家族が殺してしまったという罪を受け入れます。
このような、恋愛感情を抱きながらある意味「被害者」と「加害者」の立場があり、他言出来ない秘密を共有している関係が、『Nのために』で描かれる「罪の共有」と似ているかも、と私は思いました。
『Nのために』で描かれる「罪の共有」
『Nのために』で描かれる「罪の共有」とは、主人公である杉下希美が考える「究極の愛」のこと。
「共有ってのは、誰にも知られずに、相手の罪を自分が半分引き受けることなの。誰にも、っていうのはもちろん、相手にもね。罪を引き受け、黙って身を引く」(『Nのために』より)
作品中では、事件の中で希美をはじめ、それぞれの登場人物たちが大切に想う相手のために動き、偽りの証言や事実だけど真実ではない証言をして、その相手を守ろうとしています。これが『Nのために』で描かれる「罪の共有」です。
「光る君へ」と『Nのために』で私が感じた「罪の共有」について文書化してみると、「罪の共有」についてのそもそもの捉え方や、共有している二人の間での理解の違いなど、異なる部分が多くあったと感じました。それでも私が似ていると思ったのは、「罪を受けい入れ、共有していること」にあると思います。
さいごに
『Nのために』を再読してみると、事件があった「今」と野バラ荘で他の登場人物たちと出会う前の「過去」、そして事件から10年後の「未来」で、それぞれの登場人物たちが見えていたもの、事件の取り調べで言わなかったこと、その時1番大切に想っていた「N」とは誰なのか、等々様々な思いや事実が分かってきます。それらが複雑に絡み合っていて、ドラマという目に見える人間関係とは違う、文章から想像する人間関係の複雑さを感じて、小説からしか感じられない人間模様で、でもリアルな人間関係もこれぐらい目に見えなくて複雑だよなと思いました。
半年後、1年後に読んだら、今とは違う発見があるかもしれないので、また再読しようと思います。
ではまた📕
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