見出し画像

勉強の機会を夜の一人時間に賭けない「私が大切にしている夜の過ごし方」

夜は勉強のために本を読みたいとか、ブログを書きたいとか考えるものです。
自分が自由にできる唯一の時間だから有効に活用したい。
でも私は夜に「人生を賭ける」ようにはしないことにしています。
確かに有効活用できれば最高ですけど、そう毎日できることではないと知っているからです。

夜の勉強チャンスを逃しても終わりではない

「今の自分を改善できる唯一のチャンスは夜だけだ」
そう考えるからこそ、無理して睡眠を削って自分磨きのために無理をする。
チャンスを逃せば人生が向上することはない。だから一日でも勉強できなければ激しく落ち込む。チャンスを逃したから。

しかし毎日確実に勉強することに大きな意味はないです。
二日に一回でも続ける方が自分のためになる。
一日勉強できなくても、それで罰せられるわけではありません。
怒られるわけでもありません。
スケジュールを完璧にする満足感は得られないかもしれませんが、少しでも前に進んでいて、それがある程度継続できているなら「終わり」ではないのです。

夜の時間を機能させるべくもがいていた

私は以前夜の一人時間にすべてを賭けていました。
大変なことは夜やろう。この時間だけは自由だから。そう考えて、「勉強したい」と思っても、休日は家族と買い物をして勉強は夜に放り投げました。この時間だけは自分がコントロールできると考えていたからです。
「昼間勉強できなくても夜がある」と昼間の機会を夜で埋めようとしていました。

しかし現実はそううまくはいきませんでした。
まず眠い。21時に自室に移動できたとしても、もう眠くて読書する頭の体力がない。
一日中頭を使って、頭のエネルギーを使い切ったタイミングが夜なのです。
そこに一日で一番頭を使う「勉強」を持ってきても、頭が回らずうまくいきませんでした。

じゃあ「朝ならどうだ」と考えて早起きを目指してみます。
それもうまくいかない。
まず自分は長時間眠らないとダメなタイプらしく、8時間以上眠らないとダメ。10時に眠っても6時までは起きられません。
6時に起きても、飼い犬の散歩をして、朝食を食べて、ひげを剃って終了。勉強する時間はありません。

夜も朝もダメ。
じゃあどうするんだと考えたとき
「昼に勉強するしかないんじゃないか」
と考えました。
なので「休日の昼」も
「勉強してよい時間」
にすることにしています。
勉強の機会を夜に限定しないことにしました。家族と過ごしてもいいし、勉強してもいいと考えるようにしたのです。

夜は勉強を義務にしない

夜の時間が自分への投資をする唯一の時間と考えるから、その機会を逸したときに落ち込むのです。
それよりも私は
「夜は『快適性』を目標にする」
と考えるようにしています。
勉強は快適性の枠から外れないならやる。
快適性が無いならやらない。

眠いなら寝る。音楽を聴きたいなら聴く。今日起きたことを振り返りたいなら目を閉じてじーっとしている。
ちょっとマグカップにジンジャーティーでも入れて、ゆっくりそれを飲む。
それでちょっと勉強してみたいなら本を3ページだけ読む。
その時も勉強して頭が疲れたらすぐやめる。

一日で唯一くつろげる時間が夜だけなら、そこを勉強というある種の「苦痛」で埋めてしまうのはもったいない。
ホッとくつろぐことができれば、一日を気持ちよく終えることができます。
その方が明日頑張ろうという気にもなります。

頭の苦痛耐性は筋トレと同列ではない

私たちは学校で勉強は「夜やりましょう」と刷り込まれています。
自分の時間を夜、勉強に捧げれば捧げるほど「優秀」だと評価されてきました。
だからその延長で「勉強を夜やることは偉い」と考えがちです。
自由な時間があれば勉強のためにその時間を投資するのが偉いと評価されます。

しかし一日で唯一の自分のための時間を苦痛で終えたら、毎日は業務の苦痛と夜の苦痛で占められてしまいます。
苦痛だらけの毎日となるでしょう。
脳は筋トレみたいに苦痛に耐えるほど優秀になっていくものではありません。
その持久力と活動時間には限界があり、マイナスだけの毎日だと壊れてしまいます。

苦痛と我慢が勝利の絶対条件ではありません。
いかに頭がはっきりした状態を持続できるかということの方が大事です。
そのためには頭を休める時間が必要です。
眠るだけではなく、心安らぐ時間を持ちましょう。

自分のための勉強は義務ではない

だからこそ夜は「頭の快適性」を優先していいんじゃないかと思うのです。
辛さを我慢して夜に1時間だけ勉強できたとしても、次の日は朝から疲れて、次の日の夜はすぐ寝てしまう。
これでは勉強の効果は薄いです。

「勉強は夜やってもいいこと」
「勉強は休日の昼にやってもいいこと」
こういう「義務ではない」、やるかやらないかを自分で決めることができる「自由な活動」と考えましょう。
その方が長続きします。

辛いことをし続けていると
「早く楽になりたい」
と考えがちです。
辛い勉強が1、2回できたら
「この前できたから今日はいいよね」
となるのは目に見えています。
それよりは「快適な毎日の中の趣味」くらいの感覚でいたほうが長続きします。

私が大切にしている夜の過ごし方

まとめます。
まず
「夜は快適性を優先する」
その時
「勉強を義務だと考えない」
このように夜を過ごせば、勉強も続くし、毎日を気持ちよく過ごすことができます。
「夜やればいいや」「夜しかない」
という意識を変えてみましょう!

いいなと思ったら応援しよう!