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論理的な文章で大学のレポートを書く方法【レポートへのセルフツッコミで修行】

今回はレポートの論理性を高めるにはどうすればいいのかという内容を解説します。

学士・修士・博士の違い

いきなりなんでこの序列の話をするんだ、と疑問を持たれるかもしれませんが、大切なので解説します。

一般に論理的なレポートが書けるレベルをまともに大学の担当の先生から指導されるのは「修士」からです。

修士になると、修士論文を作成するために研究をするのですが、このとき担当の先生から「ダメ出し」を延々とされます。

「ここの主張は筋が通ってない」「こういうことを言いたいみたいだけど、先行研究でも似たようなことやってるよね?それとの違いは何?」「本当にこう言っていいの?」

とにかく毎日がダメ出しです。

しかしこのダメ出しが大事なのです。要するに「内容のダメなところ、批判できるところ」を自分では気づかないレベルで指摘してもらうことで、「プロの目線・レベル」ではどこまでの慎重さを維持しながら主張を正確に組み立てなければいけないのかを教えてもらうわけです。

残念ながら学部の卒論レベルではこのレベルのダメ出しはやってもらえません。まあそれをやると先生たちの時間も足りないですし(研究室配属からの一年くらいで学生をある水準以上の高いレベルに引き上げるのは無理)、そもそも学部レベルでは色々指摘していては一年で卒業研究が終わりません。

そのため残念ながら「自分の主張がプロのレベルでどういう指摘を受けるのか」というのは最低でも修士に行かないと体感できません。

そのため「論理的なレポートを書けと学部のレポート課題で言われるけど、実際にできるような指導を受けるのは学部卒業後に修士に進まないといけない」という何とも残念な状況になります。

ちなみに博士と修士の違いは、私見ですがおそらく「本当のプロとして認められる水準の論文が書けるかどうか」です。修士はそこまでのレベルは求められない場合が多いです。

あくまで「本当のレベルを体験する」くらいが修士。「本当のレベルを作れる」レベルが博士です。

じゃあ学部1年と2年の私はどうすればいいのよ?

上で修士までいかないとおそらく論理的なレポートが書けるようにならない、と言いましたが、プロのダメ出しがなくてもレポートの論理性のクオリティを上げる方法は本当に無いのでしょうか?

そうとも言い切れません。ここからはそれを可能とするいくつかの方法を述べていきます。

まず論理ってなんだ?

論理とは、だれもが当然正しいと認める推論、たとえば「ニワトリは鳥である」「鳥は卵から生まれる」から、「ニワトリは卵から生まれる」を導くような推論の体系であり、論理「学」とはそのような体系を学問として取り扱う分野です。

東京大学理学部情報科学科・東京大学大学院情報理工学系研究科コンピュータ科学専攻, 論理の話

要するに論理というのは「それが正しいと主張するための方法」です。

自分が何らかの主張をして、それが正しいと主張するのがレポートです。

正しいと主張するには正しいと主張する方法が必要なので、レポートには論理が必要です。

ここで太字の部分は後述する「演繹(えんえき)」という手法を使いました。

逆に論理がちゃんと使えていると「プロが見ても正しい」状態になり、「プロがGOサインを出したかどうか」という他人任せの判断基準しか持っていない状態から「自分でGOサインが出せる」という状態にレベルアップできます。論理がちゃんと使えていればそれは「正しい」ので、それは誰が見ようと正しいわけで、ダメ出しできないわけです。まあプロに見せるとダメ出しできない事実なんてほぼないですけど。あくまで自分側でもチェックできるかどうか、くらいの時に役に立つのが論理です。

本当に論理を学ぼうとすると「論理式」による計算(つまりプログラミングでやるAndとかOrとかNotとかの式を使う)も入ってきて非常に難しいのですが、今回は論理を展開するためのいくつかの方法を述べるにとどめます。

なおレポートには型が存在します。

  • 課題発見(問いの立案)

  • 実験方法・結果、調査方法・結果

  • 考察

  • まとめ

この型に自分の主張を当てはめるだけでもある程度ちゃんとしたレポートになります。今回話をする「論理的なレポート作成」というのは、上の4つの項目内で主張を展開するときに、それが正しいとちゃんと主張できているレポートを書くということです。

つまりレポート内の個々の主張に今以上に正しさを持たせるということを目標としています。

一番頻繁に使う方法【自分で一晩寝てからダメ出し】

プロからダメ出しされるのが一番効率的ですが、自分でダメ出ししてもある程度のレベルになります。

自分の主張でなにかダメ出しされそうな点はあるかと自分で考えてそれに対して「確かにそうだけど、こう言えるから私の主張は正しいのです」ということを自分でやってみるわけです。

例えばパソコンパーツで「このグラフィックボード(GPU)はグラフィックメモリが12GBだからこのPCゲームが動きます」と主張すると、「いや、画質落とせば動くだろうけどそれじゃ快適じゃないでしょ」「世代が最新世代の2つ前の中古だからこのゲームの推奨環境に当てはめるのは適切ではない」みたいなダメ出しができます。

自分の主張には「PCゲームが動くには画質が大事」「GPUの性能は世代で結構変わる」という点が考慮されていなかったわけです。

これに対する切り返しとしては「確かに画質は大事ですけど、一般にはこの画質レベルで十分快適にプレイできます。GPUのベンチマークスコアでは最新世代との性能差は4%程度なので推奨環境との差異は微小で影響はほぼないです。つまりこのGPUは世代間性能差がほとんどなくて、推奨環境のGPUのレベルを当てはめることが可能です。推奨環境で目安とされている画質レベルは担保されました。その画質レベルは十分快適なプレイができる画質レベルです。よってこのPCゲームが動きますというのは正しいです」と言えます。

こういう経験を延々とやるとだんだんダメ出し力(言い訳力)みたいなものが身に付いていき、自分の主張を論理的に展開する訓練になります。主張に延々と細かいツッコミをしていくと次第に論理的になっていきます。

ただもちろん上のGPUの話ではGPUにある程度詳しいというのが必要です。つまり論理的な主張をするには「その分野の前提知識や常識」が必要なのです。

また一回書いたら寝るのが有効です。寝ると主張を考えていたときは見逃していた主張のアラが見つけやすくなります。おそらく寝ることで主張を考えていた頭が整理される、ある程度忘れるので初見の感覚で主張を再検討できるというのが理由でしょう。

これを大学のレポートに当てはめてみましょう。つまり課題で出されたレポートを論理的に修正するには以下の内容が必要です。

  • その分野の前提知識と常識

  • 書いてから寝る

  • 自分で自分の主張にダメ出しする

その分野にある程度詳しければダメ出しの精度は自然と上がっていきます。素人考えだったのが、「中級者の考え」くらいになれば、先生という「上級者の考え」がなくても、素人考えからは脱することができます。

こうやって自分の主張をダメ出しして修正することで今書いているレポートが論理的なレポートに近づきます。

演繹(えんえき)

論理的主張でよく使う手法はちゃんと名前をもって存在しています。ここからは代表的な「演繹」と「帰納」について書いてきます。まずは演繹から。

アリストテレスによる演繹の定義はこうだ。「一定の事柄が言明されたとき、それらの言明に従って、別の事柄が必然的に導かれること」
以下は、演繹を説明した有名な例えだ。
|すべての人間は死ぬ
|ソクラテスは人間だ
|従って、ソクラテスは死ぬ

クレイグ・アダムス著, 池田真弥子訳, 賢い人の秘密, 株式会社文響社, 2022年

つまり抽象的なことが正しいとわかっているとき、その要素に自分が主張していることが完全に含まれるなら、それは正しいと言える、という手法です。

上で主張した演繹を再掲します。

要するに論理というのは「それが正しいと主張するための方法」です。

自分が何らかの主張をして、それが正しいと主張するのがレポートです。

正しいと主張するには正しいと主張する方法が必要なので、レポートには論理が必要です。

なんとなくやっていることがわかりますか?

ちょっと論理学的に言うと以下のような話となります。仮言三段論法を使います。

レポートではそれが正しいと主張する必要がある
それが正しいと主張するためには論理を使う
それゆえ、レポートには論理を使う

これをもう少し記号を使って表現すると以下のようになります。

A:レポートを書く
B:正しいと主張する
C:論理を使う
ゆえに、レポートを書くなら論理を使う(A→C)
A→B, B→C, |= A→C

これは三段論法ですが、他にも以下のようなものがあります。(参考:大西琢朗, 3STEP シリーズ3 論理学, 昭和堂, 2021年)

  • 対偶:A∨B, |=  ¬B→¬A

  • 後件否定:A→B, ¬B, |= ¬A

  • ド・モルガンの法則:¬(A∧B) |= ¬A∨¬B

上のごちゃごちゃした論理演算というのは、正しさを導き出すのに重要ではあります。

しかし結局は、ある程度本を読んだりして「その中の主張が正しいか、おかしなことはないか」というのを色々なパターンで考える経験が大事なので、本を読んだり、自分で考えながら論理を意識して文章を書くような経験の多さが必要になります。

帰納

つまり、帰納とはシンプルに言えば、個別事例のしるしから、普遍的な法則を生み出すことなのだ。

クレイグ・アダムス著, 池田真弥子訳, 賢い人の秘密, 株式会社文響社, 2022年

簡単に言うと帰納というのは以下のような話です。

  • 犬にはしっぽがある

  • 猫にもしっぽがある

  • 犬と猫は動物だ

  • ゆえに動物にはしっぽがある

個々の事項の特徴から類似点や共通点を見つけて、それを法則化するのが帰納です。

ただ帰納は演繹ほど正確ではなく、例えば上の例ではしっぽのない動物、カエルなどが例外として存在するので帰納から導いた法則は完璧ではありません。

ただし法則を仮説として作るには、やはり色々な事実を見つけてきて共通性を考えるしか方法がない場合も多く、帰納は必要な考え方です。

まとめ【論理的なレポートを書くには】

今回は大学で論理的なレポートを書くための修行の方法を解説しました。

基本的には読書の習慣を持って色々な文章を読んで、その中の主張が正しいか検証する機会をたくさん持つといいです。ダメ出しをするということです。

その上で自分でも何らかの文章(日記とかブログとか)をたくさん書いて、その論理を一晩寝たあとで検証する。ダメ出しとそれに対する言い訳を考えるということです。

あとは論理学の法則も多少勉強して、「これが正しい」つまり「真」ならそこから何が真と言えるのかということに多少引き出しがあれば、論理を展開するときに役立つでしょう。

また大学のレポートならその分野の前提知識と常識が必要なので、その分野の勉強や調査も忘れずに。

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