全てを失って幸せになる 〜統合失調症になったら幸せになった〜
はじめに
私は何かに影響されやすい。
昔、幽遊白書を読んだ時は手に龍を描き、邪王炎殺黒龍波を放っていたし、
ソムリエを見た時は、「以上」を口癖にしていた。
そんな私が下記の解説に出会った。
言いたいことを言ってくれていた・・・
でも私は書く。
精神疾患になった人にしか辿り着けない心境があると信じて。
すべてを無くした日
2024年2月3日、私は14年と10ヶ月勤めた会社を病気退職した。
訪れたのは、開放感と不安感である。
何とも普通の人である。
そしていずれ、開放感が薄れ、不安感が強まっていくのだろうと思った。
だが逆である。開放感が強まり不安感が無くなった。
確かに当面、経済的な不安がないことは大きい。
失業手当があり、障害年金もある。
そして何よりそれなりに潤沢な貯金がある。
ここであなた恵まれてる人と流さないでほしい。
会社員の時私はそれでも不安だった。
4年にもわたる長期の休職中ずっと不安だった。
それが退職することで解放されたのだ。
仕事を辞めろと言ってるわけではない。
仕事を辞めても何とかなるから安心しろと言いたい。
いざとなったら逃げれるのだ。
逃げていいのだ。
社会の最底辺
私は会社員時代自分を「勝ち組」と認識していた。
そして「負け組」を嘲笑った。
本当に文字通り嘲笑った。
先輩に30代の童貞で公認会計士を目指し続けてる人がいた。その人を陰で
「人生詰んでるやーん」
などと言い、友達との飲み会で言い周囲の笑いを煽った。
そんな私が発狂し、「統合失調症」と診断された。
自分の人生が詰んだのである。
私が嘲笑ってきた人間はさぞや愉快だっただろう。
だが、当の私は違った。競争レースから降りられることへの安堵感でいっぱいだった。
競争レース
幸せになる第一の方法は、この競争レースから降りることだ。
本当はみんなは理解し、こっそりと降りていたのかもしれない。
だが「勝ち組」だった私はこの競争レースにやりがいと達成感を感じていた。
だから降りなかった。
だが私は「統合失調症」で強制退場を食らった。
そして幸せになった。
体育会の考え方
私は中高大と体育会で過ごしてきた。
体育会の考え方はシンプルである。
人より努力し、勝つ。そうして快感を得る。
それが幸せになれる方法だと刷り込まれてきた。
だが病気になりこの世は広いことを知った。
「勝ち組」が幸せに直結しないことを知った。
きっかけ〜一つのLINEと一つの電話〜
仕事を辞めた私は大学の友達の飲み会に参加した。
そこで急に来られない友達と、軽くLINEのやり取りをした。
最後はこうまとめられた。
「元気そうで安心したわ」
ある日、高校の友達から連絡がかかってきた。
「今何しとん?」
と聞かれた私は現状を率直に答えた。
相手の答えは
「今が元気ならええわ」
だった。
もちろんそういうしかないということはわかる。
だが、今まで人を嘲ってきた最低の私を心配してくれる人がいる。
これは何よりの救いになった。
競争社会から離脱して
競争社会から離脱させられてわかることは一つ。
有名大学を卒業し大手企業に就職し、結婚し子供を作り、出世する。
そんな幸せの黄金ルートをいかに近くなぞれるかが試されていたんだろう。
私はその黄金ルートをなぞれる実力があった。だからなぞってきた。
だがそこから外れて私は圧倒的開放感がある。
この先どうなるんだろうというワクワク感がある。
そんなワクワク感を大事にしたい。
悩みの時期
そんな私だが社会のレールから外れることには抵抗と不安があった。
5年間の休職期間中、2度復職し最後は号泣しながら退職した。
だが外れてみるとどうだろう。
ようやく自分の足で人生を歩んでいる気がする。
この先へのワクワク感がある。
なぜ幸せになったのか
ほとんど全てを失った私は一つひとつの事を大事にするようになった。
両親との対話、日々の散歩、読書
そして自分と対話するようになった。
今まではレールにのっかていれば幸せと信じ、どうやったらレールから外れないのかそればかり考えてきた。
レールから外れ、最底辺におちようやく自分で自分の幸せを考えるようになった。
そうしていくうちに幸せに形がないこと。
そして自分で幸せを決めていいことを知った。
私は自分で幸せを決めた。そうして私は幸せになった。
社会のレールで生きていくこと
ここまで書くと社会のレールから外れることが外れることが幸せのように感じた人もいるかもしれない。
だが、それは違う。
社会のレールからは出来たら外れない方がいい。
だが大事なことは自分の幸せについて、既成概念抜きで考えることなのだ。
あなたが今のっているレールはいろんな人がこうすれば幸せになれると考え作られたものだ。乗っていた方が幸せなのだ。
だが、無条件に幸せになれるわけではない。自分なりの幸せの形を普通の価値観抜きで考える必要があるのだ。
統合失調症から立ち直る
既成概念だと統合失調症=不幸だ。
だがこれは違う。
私は統合失調症になって幸せになったし、病気になってよかったと思っている。
まず何より競争レースから降りれた。
統合失調症になって人間の幅は広がったし、何より幸せについて本気出して考えるようになった。
あなたが幸せについて本気出して考えるようになった時、あなたは幸せなのだ。
最後に
あいも変わらず幸福論を書いている。
あなたの走っている競争レースがあなたの望むペースとちょうどよければ、あなたは幸せだろう。
だがペースが早い時あなたはペースを緩める方法を考えなければいけない。
そんなことを考えながら今日のまとめにする。