僕のヒーローアカデミア 堀越耕平 全体感想
僕のヒーロアカデミアを読み終わった。
最終回を迎え、1巻から読み直し、改めて色々なことを感じることになった。
作品のテーマは色々なものがあったと思うが私が感じたのは、
『One For All』
一人はみんなのためにという社会、『オールマイト』が全てを支える社会から、
『All For One』
みんなで一人を支える社会にしようというものがあったと思う。
それはAFOが全てを支配するという意味でなく、一人一人がそれぞれのヒーローになるという意味で。
作品中、一番活躍したのは間違いなく主人公の緑谷少年だ。
だが、作中の一年間で彼にとってのヒーローは麗日さんだった。
誰がためを思って行動すれば皆が誰かのヒーローになれるのだ
オールマイトが全てを支える社会構造というのにはそもそもに無理があり多分に歪さを孕んだ社会になったと思う。
そのオールマイトの力を一見非力な少年が継承することによって、その歪さが明らかになり皆の心を動かした。
その歪さを象徴したシーンが41巻416話のシーンだ。
上鳴くんがヤオモモに語るシーンだ。
上「コミックでよくあるじゃんね・・・
『俺はあいつを信じてる!!』って。俺とか切島くらいの立ち位置の奴が言うの・・・」
八「そのような作品にはまだ出逢えてなくて・・・」
上「少年系読まんもんね。
緑谷さ多分今世界で一番強ぇのに・・・
何でだろうなあ・・・
オールマイトみたく“もう大丈夫”って・・・
思えねぇんだよなあ・・・
ヤオモモ・・・・・・
心配すんのは信用してねぇってことになんのかなあ?」
皆が緑谷少年に世界を託している。
だが皆が緑谷少年を心配している。
それは緑谷少年の力不足というのもあっただろう。だが転換点であった。
一人のカリスマの戦いをみんなで眺める社会からみんなで戦う社会へと。
私は阪神淡路大震災を少し経験している。
その時のことを父が少し語ったことがある。
「皆が何か人に親切にしたくなっていた」
と。
そういうことなんだと思う。一人一人が自分のできることをやっていく。
そういう社会があるべき姿で、オールマイトを待ち望む姿勢は理解はできるが歪で歪んだ社会になるのだと思う。
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