統合失調症になったら妄想じゃなく幸せになってきた 

はじめに

私は37歳独身の実家住まいの統合失調症患者だ。
こうやってスペックを書くと、一言で言うと人生終わってる人間だ。
だが私は幸せだ。
病気になる前より幸せだ。
ここではそんな自分のストーリーを書きたい。
そして、統合失調症患者や他の精神疾患患者とその支援者さん、発達障害の方、今生きづらい人や頑張っている人に参考にしてほしい。

幸せと思えば幸せ

人間、幸せになる方法は簡単だ。
自分のことを幸せだと思えばいい
以上、終了だ。



そんなことできないから困っている?
その通りだ。
ならばどうやって自分のことを幸せだと思えばいいか?
私は、この当たり前の事実に気づくのに私は6年かかった。
そして、その6年を駆け足で書いていきたい。

自己紹介(病歴)

病気になる前

病気になる前の自分はどういう人間だったか?
はっきり言うと高スペック人間だった。
有名大学卒業し、体育会出身。
大手ホワイト企業に勤め、30歳で、年収も1000万近くある。
まあ、顔は大したことないが・・・
そんな私は常に社会的地位が高かった。
親戚の集まりでは両親の私自慢から話が始まった。
だが私はそんなに幸福感を感じていなかった。
上には上がいることをわかっていたし、自分は上を目指さなければならないと思っていた。
両親が私のことを自慢するたびに苦痛だった。
「もう頑張りたくない」
叫びたかったが叫べなかった。
今、大谷翔平を見て勝手に思う。
この人死ぬほど辛いだろうなと。

発症

そんな私だが31歳の誕生日前後、突然統合失調症を発症した。
発症は突然だった。
2〜3日かけて気が狂い、とてつもない高揚感と共に私は自分を神様だと思うようになった。
神様になった私は会社に行き、様子のおかしさから即、家に返され、親に連絡が行った。
そして、親が助けにきた。
親が助けにきた時、私は手首を切り全裸で感謝の踊りを踊っていた。
私はすぐに精神病院に連れて行かれ、入院した。

精神病院入院(一回目)

精神病院入院した時、私はすぐに拘束された。
私はその拘束をスーパーマンの自分を利用した耐久テストだと思い、暴れ回った。
そして2〜3日たった。
疲れ果てた私は目覚めた。
自分が神でもスーパーマンでもない。普通の人であることに。
精神科医の診断で問題がないことを確認され、拘束を解かれた。
拘束を解かれた私の最初の感情は“安堵”だった。
拘束を解かれたことではない。
もう頑張らなくてもいいことに安堵した。
今、頑張っているあなたはこの文章を読む暇もないかもしれない。
ただ、頑張りすぎると気が狂うことがあると。
そして最後まで文章を読んで知ってほしい。
気が狂ってもなんとかなると言うことを。

入院した私だが少し休んだらすぐに復帰するつもりだった。
仕事にやりがいは感じていたし、人間関係は良く、裁量や仕事量もほどほどだった。
この仕事以上の仕事はないと思っていた。
何より私は社会的地位を失うことが怖かった。
私は幼い頃から先の事が不安だった。
周囲から褒められるたびに疑問だった。
なぜ、結果が出ていないのに将来のことが不安にならないのか、と。
だから一瞬、安堵したがすぐに切り替え仕事に復帰するつもりでいた。
そうしないと不安だった。
将来が見えないと不安だった。
レールを外れることが不安だった。

入院生活は辛かった。
拘束を外された後の初めての診察で2〜3ヶ月程度の入院と言われた時は絶望した。
おかしな人を見るたびに
「私は一時的におかしくなっただけであんな人とは違う」
と言い聞かせた。
とにかく優等生であることをこころがけた。
看護師や医師、家族にも問題ないことを伝え続けた。
そうして2ヶ月半が経ち無事退院した。

1回目の退院後

退院した私は数ヶ月休養し復帰するつもりだった。
しかし月一の診察で復帰許可を求めるも許可は一向に降りなかった
気がつけば9ヶ月が経っていた。
そして私は魔の言葉に出会った。
「自己肯定感」
である。
今になって思うと、「自己肯定感」など言葉ごと犬にでも食わせておけばいい。
「自己肯定感」と言う言葉は具体的な様で抽象的で形がない。
悩んでいる人をさらに悩ませる言葉でしかない。
だから自己肯定感などどうでもいいのだ。
大事なことは自分が幸せと思えるかだ。
話を戻そう。
「自己肯定感」と言う言葉に出会った私は、早速、自己肯定感が低い人のチェックリストをチェックしてみた。
まさしく自分が当てはまっていた。
私が生きにくい理由はこれだと思った。
そこから私は思い悩んだ。
どうすれば自己肯定感を上げられるのかと。
そして思いついたのが、過去の自分を両親に話し整理するということだった。
私には成功体験が一杯ある。だからその事を整理すれば自分に自信がつき自己肯定感が高まると思った。
だから両親に話した。
これが二回目の入院のきっかけになる。

精神病院入院(二回目)

私は過去の自分を洗いざらい話した。
そうすると、話が止まらなくなり、自分で自分を止められなくなっていた。
どんどん興奮が進み、気がつくと精神病院に二回目の入院をしていた。

二回目の入院はあっという間だった。
一回目で慣れていたし、相変わらず優等生の顔をして周囲を見下して過ごした。
そして退院前の診察で私はすぐに会社に復帰したい旨を伝えた。
医師からの返答は
「リワークに通って下さい」
だった。

リワーク

リワークはSSTや模擬職場、ヨガなど色々やったが、あまり覚えていない。正直自分の役にたっていない。
私の中では体のリズム作り程度の意味合いだった。
ただ、マインドフルネスは意味があると思う。
ただマインドフルネスをそのままやるのは難しいので、後ほど私なりに理解したマインドフルネスのやり方や意味などを書きたいと思う。
そうしてリワークに十ヶ月ほど通い復帰許可を得た私は、満を持して復帰することになる。

復職(一回目)

一回目の復職ではまず、私に負担がかからない様、様々な配慮がなされた。
部署移動し、緩いことで有名なチームに配属された。
その中でも私のプライドを傷つけない程度の難易度の仕事を回され確実に仕事をこなしていった。
そして、比較的大きなプロジェクトを任されたところで異変が起きた。
夜が眠れない。涙が止まらないのである。
とにかく不安で仕方ないのである。
病気になった私はもう頑張ることに恐怖を覚えていた。
頑張って気が狂ったらどうしよう。
でも頑張らないといけない。
八方塞がりに陥っていた。
私は不調を産業医に伝え、一回目の復職は幕を閉じた。

復職(一回目)後

一回目の復職後、私は絶望感に囚われていた。
もう復職はできないと思った。
社会的地位を失うことが怖くて怖くて仕方なかった。
私はとにかく何も考えないように、ルーティンで日々を過ごした。
朝起きると、広告を見て漫画アプリのポイントを集め無料漫画を読む
昼過ぎにはそれが終わるので、昼食を食べ、近くの図書館で本を借り喫茶店に行き本を読んだ。
晩飯を食べると、布団でYouTubeを眺めた。
毎日そうして過ごした。
しかし、いつまでもそうして過ごすわけにも行かない。
休職期間満了が近づいてくる

精神病院入院(三回目)

休職期間満了まであと6ヶ月ほどのある日、私は再び発狂した。
全てを失うことへの恐怖感からだろう。
両親に精神病院へ連れて行かれ入院した。
この時ようやく私は自覚した。
「自分は病気」なんだと。
病気を自覚した私は他の入院患者さんたちと喋って過ごす様になった。
自分が病気だとわかるとなんだか気が楽になる気がした。
自分が病気を受け入れたからだろうか。
三回目の入院は1ヶ月半ほどだった。

精神病院入院(四回目)

三回目の退院後は相変わらずのルーティンで過ごした。
が変わらず、休職期間満了が近づいてくる。
そうして再び発狂し、四回目の入院を迎えることになる。
そしてこれがようやく訪れた一つ目の転機となる。
入院した私は前回と同じように入院患者さんたちと喋って過ごした。
そしてその中に、Sさんがいた。
Sさんはそこそこの企業で部長をしている人だった。
「俺病気ちゃうねん」
などと言い、飲薬も拒否していた。
仕方がない人だなとは思っていたが、部長をしているだけのことはあり含蓄のある話も多かった。
私はそんなSさんに復職するかどうかを相談すると、じっと目を見て言われた。
「人間なるようになるし、なるようにしかならんよ」

なんだか気持ちが楽になった。
私はこれまで人生もがいてきた足掻いてきた。
将来が不安だから少しでも良い道をと思い努力してきた。
が結果がついてくるとは、限らないのだ。
今まで結果がついてきたのが幸運だっただけなのだ。
そして自分を恥じた。
社会的地位が低い人たちを口には出さないが落伍者とみなし見下してきたことを。
人間、頑張れない状況や頑張れない人だっていることを学び、頑張りと幸せがイコールにならないことを学んだ。
自分は人を見下し、優越感を得ることしか幸福の取得方法を知らなかった。
相対的な幸福感しか知らなかったのである。
私に必要なのは絶対的な幸福感であることが分かった。

そして私は復職することに決めた。
努力イコール幸せでないとは分かった。
だが、まだこれまでの生き方を捨てるのは怖かった。
やれるところまでやろうと思った。
なるようにはなるが、努力が道を切り開くと思った。

復職(二回目)

休職期間満了の二日前に私は復職した。
会社は前回以上に配慮してくれた。
私は今回で今までとは変わらないといけないことを理解した。
一つが仕事との向き合いかた
もう一つが絶対的な幸福感を得ることである。
仕事では出来ないことは出来ないとすぐ言うようにした。
不安な仕事や体調に問題がある時はすぐに上長に伝えた。
上長はすぐに配慮してくれた。
休みの日は好きなことをするようにした。
まずは自分が何を好きかを問いかけた。
ヴィッセル神戸、漫画、フットサル、人との対話だった。
そして人との対話を求める中で私はとある自助グループに出会った。
この自助グループが私を救う2つ目の転機となる

自助グループ

この自助グループで心がけたのがありのまま正直に話すことである。
現状などをありのまま話すことで今の状況を再確認でき、整理ができる。
だから思ったことをそのまま言う。
これまで常に「勝ち組」の自分を背負い演じてきた自分にとって、それはとてつもない冒険だった。
だが、自助グループの皆さんはそんな自分を温かく迎え入れてくれた。

退職

隔週の自助グループで話す中で分かったのが今の職場が自分にとってとてつもない負担になっていることだった。
分かってはいた。
簡単な仕事を頼まれるたびに不安で泣いてしまう自分がおかしいことや、そんなに大きな仕事がないのに夜が眠れないことなど。
だが、それを自助グループで話すことでより鮮明になっていき、少しづつ退職する覚悟ができた。
それでも社会のレールから外れることは不安だった。
今までの全てを無くすような感覚があった。
最後は医師の前で号泣しながらお願いし退職の診断書を書いてもらった。

退職後

退職後は障害年金などの各種手続きで慌ただしく過ごした。
体調を崩すことも多く、自分を責めることも多かった。
それがこの数ヶ月ない。
そして幸せだ。言葉にはできない。ただ木々や夕焼けが美しく見える。
お風呂がきもちいい。不安がない。
幸せってこういう形なんだと気づいた。
そして私は、当たり前だが一つの真理に辿り着いたことに気づいた。
自分が幸せと思えば自分は幸せだと言うことに

幸せだと思う方法

ここでようやく本題というか、わざわざこの駄文を読んでいる方が知りたいことを書きたいと思う。

相対的幸福感と絶対的幸福感

まず前提として私は幸福には2種類あると思う。
相対的幸福感と絶対的幸福感だ。
相対的幸福感は社会的幸福感と言い換えてもしれない。
誰かに勝つことで得られる幸福感だ。
他にも言い方は悪いが、社会的地位やスクールカーストなどが高い人が周囲を見下す事で得られる幸福感だ。
これは幸福だ。脳汁がプッシャーとでる。
だがこれを追い求めると行き詰まる。勝つことには限界はあるし、負けることだってある。そうすれば相対的不幸感が高まる。
人に勝つことが快感なれば、負けることはこれ以上ない屈辱である。
相対的幸福感を追い求めると相対的不幸感も高まる。
だから絶対的幸福感を追い求める必要がある。
絶対的幸福感とは何か?
それは自分が自分で幸せと決めているかどうかである。
感じている。ではない。決めている。である。
相対的幸福感も絶対的幸福感も幸福感にはちがいない。
なればこそ感じるにすると大きな快楽である相対的幸福感に快楽を飲み込まれてしまう。
だから最初に決めるのだ。自分が幸せであると。
自分が幸せであると決めると何をしても快楽になる。
「だって自分は幸せだもん」
で全て受け入れられる。
自分が幸せだと他の幸せな人を見ても種類が違う幸せだよねで流せる。
嫉妬もしない。
結果、相対的不幸感が下がる。
だって人と比べて快楽を得る必要がないから。
だから絶対的幸福感を高めないといけない

絶対的幸福感の高め方 自分を蔑もう

絶対的幸福感の高め方は自分がいかに矮小で卑近なクズみたいな世の中で最底辺の人間であることを知ろう。
だが、これを読んでいる人は大丈夫だ。
人が6年、正確にいうと37年努力し続けて得た真理をなんの努力もせずに数十分ほどで得ようなどという人たちだ。
分かりやすく言うと、誰と比べてもしんどくなることを知ろう。
人と比べてしまう人たちはどこかでほとんど負けているけどここは勝っているなどと思うから相対的幸福感を求めて比べてしまうのだ。
違うのだ。あなたは世の中の最底辺なのだ。
まともな人間性を持っていないから苦しむのだ。
世界人間ランキングの最下位なのだ。
まずは自分が苦しむのは人間性が悪いからと言うことを認めよう。
だが絶対的幸福感が高ければ人間ランキング最下位でも幸せなのだ。
だって人と比べないんだから。

絶対的幸福感の高め方 他責ではなく自責

自分が不幸なのは人のせいではなく自分のせいであることを知ろう。
今の境遇に陥ったのも全て自分の責任だ。
統合失調症になり多くの人と触れ合う中で親のせいにしている人が多くいた。
ロジックはわかるし私もそういう時期があった。
精神疾患になる→性格の問題→親の生育環境の問題
だが、親を恨んでも何も変わらないのだ。
絶対的幸福感を高める方法は「今」幸せだと感じ取れるかだ。
過去のことはどうだっていいのだ。
自分のせいならばこの先変えていける気がしないだろうか?
未来に幸せが待っているならば「今」幸せになれないだろうか?

絶対的幸福感の高め方 自分を洗いざらい喋ろう

どこかの自助グループや行きづらい人たちの会、親や彼氏、彼女でもいい何かで自分を洗いざらい喋っちゃおう。自分を受け入れてくれる人がいるというのは、確実に絶対的幸福感に繋がる。そして洗いざらい喋る中で自分が見つかる。自分がいかにダメな人間か人のせいにしてきたかが分かる。
分かればいいのだ。
人間、分かれば直そうとするものだ。
ちなみに私は喋るついでに自伝小説を書いた。

絶対的幸福感の高め方 自分を知ることが人生の目的であることにしよう

自分を知ることが人生の目的であることにしよう。
何か目的や目標がある人ならば特にいらない項目である。
だが、世の中には自分がなぜ生きているのかわからないみたいな人もいる。そんな人におすすめするのがこの項目。自分を知ることが自分の人生の目的であることにしよう。だ。
自分が何が好きで何に感動し怒るのか。自分を客観的に観察してみよう。
自分を知るためのおすすめは散歩だ。散歩する時の思考に意識を向けるとこんなことを考えているのだなとか新しい自分の発見に繋がる。前述ではあるが、これが自分にとってのマインドフルネスだと思っている。
ちなみに私が今考えていることは少しでも多くの人を生きづらさから救いたいだ。

最後に

とりあえず、現時点で思いついたことは書いた。
だが今後も思いつくだろうし、思いついたら書いていこうと思う。
もし上記について自分なりの意見があれば書いてくれると嬉しい。
これはあくまで私に適した方法だ。
人によってやり方は千差万別だ。他の人のやり方も知りたい。
だが一つ言いたいのは
あなたは幸せだ
と言うこと。
本来そこに理屈などない。
と言うこと。
読んでくださりありがとうございました。

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