マジ昭和のラーメン
今日思い立って近所の中華屋に行った。
何だか昭和のラーメンが食べたくなってしまったのだ。
年のせいかビール痛飲のせいか最近のラーメンは食えない様になってきたからだ。
脂っこいし値段が釣り合わない。
(たまには歩くか)と外に出た。
何度も引っ越ししたが結局生まれ育った近所に住み着いてしまった。
だからどんなに景色が変わろうが何となくの土地勘があり、そして変わらないものもあった事を意識出来た。
不思議なもので意識出来ないと建てかわる前は目で馴染んでいるのに新しく何かが建つと
(…ここ前は何やった?)と思う。
それに既視感はあるのに視点が違ったりするので違和感を感じるのだ。
自分の学んだ小学校に子供の参観に行って感じるあの変な気分だ。
例えるなら裸足で自転車漕ぐ様な何とも言えないアレだ。
とにかく今日はその中華屋に呼ばれたらしい。
私はだいたいバイクで移動するのでその行動は交通ルールに則り画一化している。いや、してしまっている。
いつもの道を同じように同じ時間に通る。
もう何年もだ。
すると近所なのに行かないスポットがそこかしこに出来上がる。
記憶と一致するも今の時間と差異を感じるその空間は当にタイムスリップだ。
(何でこんなに昭和なんだ…)
(過去に来た?)と思う程昭和だった。
しかし全裸でも無いしシュワっても無い。
方向だけ予想して小路を抜けた。
するとドンピシャで中華屋に着いた。
住宅地の突き当りだった。
どう説明するものか、神社の境内で言うなら各住居が狛犬なら中華屋が拝殿の感じだ。
圧倒的な存在感なのに商売っ気が無い。
暖簾は出ているが市井の雑踏なども聞こえない。少々田舎だが正午の大阪の中華屋だ。
アカン店かも知れないと嫌な想いが浮かんだがそのまま扉を開けた。
(激マズやったらそれはそれで面白い)
店内は昭和だった。
あの理科室のテーブルを朱色にしたみたいな席に
何年前やねん!実家か!とツッコミたくなる調味料入れ。壁に掛かる恵比寿様はビニールで覆われ、その横のTVの位置は高すぎる。
(雰囲気最高だ)
客は2人、鬼越トマホークの酒井みたいなオッサンが居た。自分もオッサンだが。
奥様と思われる女性が水とおしぼりを持ってきた。
メニューを見るとやはり中華屋、揚げ物炒め物と充実している、しかしアル中の私は先ずビールを頼んだ。歩いてきたから飲まないと損というのがアル中の思考だからだ。
「瓶ビールある?」と親父に聞くと
「麒麟?アサヒ?」と親父が聞き返す。
何と!「麒麟で」とすぐさま答えた、キリンラガービールの瓶が1番だからだ。
ちっちゃいコップで瓶ビール。
(最高やん)
チャーシュー麺をオーダーした。
通っていた中学校に食堂があった。
何の変哲もない160円くらいのラーメンにGABANの胡椒をかけまくって食べるのが好きだった。
自分でも作ろうと味覇使ってやってみたが何だか出来なかったのだ。
「チャーシュー麺です」と置かれたそれは特に華の無い肉入り中華めんだった。
もやし、わかめ、ネギが散らされ5枚のチャーシューがメンマと供に半ばスープに沈んでいた。
私は割り箸を歯と左手で割り入れ右手のレンゲでスープを掬った。
(…旨い!甘い!)
脂の照りか糖分か光を弾くスープは思ったよりも甘くパンチがあった。
黄色い麺は存在を主張し過ぎる事無く、メンマは歯ごたえのみの箸休めだ。
(こいつ等チームだ!ワンチームだ…)
良い時間を過ごした。奥様は水の他に麦茶も持ってきた。とても気遣いの凄い店だった。
因みに酒井はレジで
「6800円のお返しです」と言われてたので一万円札で精算したのだろうが3200円も何食べとんねん?と思った。
歩いて行く近所って面白いなと自分がドンドンジジイになっている事に驚愕した1日でした。
新聞の広告を観て
(昆布の佃煮美味そうやな)とか
いくらちっちゃい自転車だからって女子高生に抜かれたら貴方もジジイです。
生活範囲が小さくなっていきますが深くなっているかもと意味ある様な事を言っておきます。
孫ができたら
「爺ちゃんは昔な張飛と戦ったんじゃ、ヤツの波動拳は地を裂き山を砕いた」
「その時ワシのトマホークブーメランが火を吹いたのじゃ!」と嘘つきジジイになりたいと思います。