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安珍清姫伝説は本当か?

和歌山県にある道成寺であった伝説です。

ある美しい修行僧(安珍)は熊野詣でに向かう途中、ある豪農の家に一夜の宿を願う。
容姿端麗、賢良方正でおそらく憧れの都暮らしの若き僧 安珍に片田舎の清姫(姫では無い)は恋に落ちてしまう。

修行中の上に仏に身を捧げた安珍、だが真っ直ぐな乙女心を無碍にする事は出来なかった。

「熊野詣でが終わったら必ず寄るから」と言って宿をたちます。
愛する安珍の言葉を信じ、清姫は一日千秋の気持ちで待っていた。

三日過ぎ、五日過ぎても安珍様は戻られません。
熊野詣での参拝客の中に安珍様を訪ね歩く清姫。
(何かあったのでは?もしや怪我など…)清姫は気が気でありません。

そのうち安珍を見たと言う者が居た。
「日高川の方に行った」
安珍は熊野詣での後、清姫を避けて都へ戻ろうとしていたのだ。
「…まさか?安珍様!」
清姫は可憐な着物の裾も気にせず走った。

日高川には橋が無く、渡しの舟で往来していた。
安珍は足止めを食っていたのだ。そこへ
「安珍様…あんまりでございます…」履物も失い着物は崩れ髪も荒れ放題だった。
年頃の娘が恥を忘れて追いかけてきたのだ。

しかし安珍はく「私の事は忘れて下さい」と舟に乗りさっさと行ってしまった。
渡しの舟は長蛇の列、いくら清姫が頼もうと譲る者はいない。

清姫は荒れる日高川に身を躍らせた。
「安珍様〜!」
「安珍様〜!」
泳ぎ追いかける内に執心に囚われた清姫は巨大な毒蛇に変わったのだ。

安珍様〜!


怨嗟の焔を履きながら愛しき安珍を追いかける。
恐怖におののく安珍、思わず仏に助けを求め
「南無金剛童子、南無観世音菩薩助け給え!」
すると眩しい光が毒蛇清姫の目をくらます、その隙をついて安珍は川を渡り目の前の道成寺に逃げ込んだ。

住職に理由を話し匿って欲しいと嘆願すると
「鐘の中に隠れればよい」と知恵を受ける。

巨大な毒蛇と化した清姫は愛憎の渦巻く怨念の焔を吐き出し頑丈な山門を破壊、愛する安珍を求める眼光に狂気の執心で寺の境内を睨め上げる。恐れ慄く道成寺の若衆。
「安珍様を何処に隠したァァァ!」
咆哮の毒蛇に気負った若衆が寺の鐘撞き堂を見てしまう、そこには地面と鐘の間に挟まった脚絆の紐があった。

「そこかぁぁぁぁ〜!安珍!」

毒蛇清姫は鐘に巻き付き焔を浴びせ続けます。

今生で寄り添えないなら次の世で。たとえどんな世界でもとの毒蛇清姫の燃え盛る愛憎の様。

安珍を蒸し焼き殺した毒蛇清姫は元の美しい乙女の姿に戻り日高川に入水しました。

哀れ安珍

という話なんですがぶっちゃけ誰が1番悪いのでしょうね?
メンがヘラってる清姫か?
嘘つきイケメン安珍か?
適当救助の住職か?
はたまたちゃんと助けない千手観音か?

どうすれば清姫は毒蛇にならなかったのかと考える。

先ず時間軸で行くと安珍と清姫が会った時点で惚れるという状況を予想していない。
誰がと言えば実は安珍といる老師だ。

憶測である。

何故老師は予想出来ないのか?

再び言おう憶測である。

老師が衆道の人かも知れないし当時では現在の感覚とは異なる。
なので老師はセーフとしても安珍が最悪だろう。
追いかけられた後に弁明の時間を捨て逃げたのだから。
しかしまだ蒸し焼きで殺される程に安珍が非道とは思えない。

安珍が清姫と情交を結んでいなければ。

いや、ヤッてる。
安珍はヤッてる。
ほんで逃げた。
と何故かわかる。
もうTINTINだw

しかし何か1つ変わればこういう結果では無かったのだろうと考える。

誰が悪いと言えば関わりとしては全員かも知れない。
何の事情も知らない熊野詣での人が
(これは只事では無い)と口を閉ざせばそうだった。
全く縁の浅い人さえバタフライエフェクトのダイレクトなんですよ。

袖振り合うも多生の縁です。

でも観世音菩薩は助けたら宣伝ならないし、道成寺の住職もThats他人事。

みんな繋がってるんだかって雑な話でした。


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