#046 「ありき、の世界」からの脱却
世間一般で知られるヒトラー像とは異なる、真の実像に迫った福井義高氏の著書を読み、ナチスドイツに関する理解を新たにした。ナチズムを絶対悪として、「ありき」として捉えてはいけない、ということを改めて考えさせられた。戦後79年を経た今でも、ナチズム、ヒトラーを少しでも評価する発言をすれば、即座にメディアに非難され、立場のある人であれば、更迭は必至だ。メディア必ず登場させたいのが、お決まりのシモンビ―ゼンタール財団だ。何か大きな闇があると考えるのが自然であろう。ヒトラーといえども、功罪の功の部分があり、その証左として、ある時期までは国民の絶大な人気を集め、高い評価を受けていた。だからこそ、闇の勢力は、功の面に光が当たらないように、絶対悪として糾弾しつつけるのだろう。これは、日本の「軍国主義」についても然りで、通底している。ナチズムと日本軍部を絶対悪にしたい勢力によるものと考えられる。
例えば、ドイツ自動車産業の雄、フォルクスワーゲンもヒトラーがポルシェ博士を招聘し、国民車構想を実現するために設立したものであるし、ドイツの道路ネットワークであるアウトバーン然り、ドイツ人の企業文化ともいえる休暇(FERIEN)をドイツ人社会に根付かせたのもヒトラー政権であった。少なくとも、ユダヤ人政策が先鋭化するまでのドイツでのヒトラーの人気は絶大であったし、「1937年までにヒトラーが引退していれば、ドイツの名宰相として歴史に残ったはず」というのが定説である。戦争の勝者によって、歴史は捏造される。実際のところ、福井氏の著書で描かれている通り、ヒトラーは決して好戦的ではなく、交渉によって、ワイマール体制下の抑圧されたドイツの復活に取り組んでいた。対ポーランド交渉(特にポーランド回廊)においても非常に融和的であったが、英米(チャーチル、FDR)の策謀によって、ポーランドはむしろ強硬路線を取らざるを得ず、結果、英米がヒトラーを戦争に誘導したというのが真実である。昭和16年後半の日本、ウクライナ戦争におけるロシアも全く同じ構図である。
ヒトラーは絶対悪だ、悪のヒトラーありき、の思考を止めなければ、戦後日本の自虐史観からも脱却できない。ユダヤ人の最終的解決は確かにホロコーストであったろう。しかし、ユダヤ人迫害はヒトラー政権で始まったものではない。ナチスよる最終的解決は、ある意味、闇の勢力と戦う人々の総意だったのかもしれない(玉石共に撃って、グローバリストを葬り去るという発想だったか)。今でも世界は一部のユダヤ人勢力によって支配されており、ヒトラーを絶対悪にして、ヒトラーの功の部分を隠蔽している様に思える。
ところで、米国による無差別の東京大空襲や、広島、長崎への核攻撃は、ホロコースト以外の何物でもない。この論理でいえば、米国も絶対悪、ということになる。小職もかつて、陰惨なアウシュビッツ強制収容所を訪問したが、これと同等以上の酷さとして比較されるべきは、広島・長崎への米国の核攻撃に違いない。
その意味で、アウシュビッツを以てナチスドイツを絶対悪として糾弾する様に、広島・長崎を以て米国民主党政権を絶対悪として非難すべきではないか。
話はそれるが、「ありき」問題の事例は他にもある。たとえば、会社の例では、上場ありきが典型だ。昨今、企業の上場メリットが問われている。短期的視点での四半期決算、各種コンプライアンス業務を強いられ、現場の疲弊感は強い。科学的根拠のない(というより科学的には無意味な)「気候変動」への対応も義務付けられ、さらには、イギリス現代奴隷法への対応なんていうのもあるのには驚く。イギリスで一定規模の事業展開をしている場合、親会社の日本企業も現代奴隷法への対応義務がある。奴隷文化の無い日本企業にとっては、非常に違和感がある。また、超低金利下、ファイナンス面で上場は果たして有利なのか。昨今の企業経営において、上場は本当に意味があるのか。上場ありき、ではなく、なんのために上場しているのか、メリットとデメリットを見極めた上で、冷静に考え直すべきではないか。
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