他責は「途中」で「分析」だから、最後が「自責」になればいい。
①聞かれたから答えたのに「それは他責だ」と言われ…
ある研修で上手くいかなかった反省をしていると、隣席にいた初対面のコンサルタントから、「上手くいかなかった原因はなんだったんですか?」と聞かれました。
私「○○さんがミスをして焦ってしまい、他の人を巻き込んでトラブルを大きくしてしまったので、次は…」
コンサル「それは他責ですね」
私「今から私が考えた対策を説明するつもりなんですが…」
というやり取りをして、非常に不快になりました。
「なんかおかしくないか?」
前から気になっていたので、自分のことをわざと「スーパー他責」だと言っていましたが、いよいよ納得できなくなって来ました。
②全て「自分のせい」だと言う「自責」の部下を持って…
期待している部下が、同僚のミスもかばって謝罪するのを見て「なんて素晴らしいマインドなんだ」と感心していました。
また、現場でのミスの時にも必死に謝罪して、周りの関係者から助けられながらなんとか解決できたのを「自責だからみんなに助けられるんだ」と評価していました。
ところがふと「この部下は自分で解決する能力が無いのでは…」と思うようになりました。
ミスの原因を聞いてみると、ただただ「自分のせいなんです」を繰り返すだけだったからです。
「自責ってこんなものだったっけ?」
③「○○のせい」は他責でなく「分析」
それから少し考えてみました。
私も社長として必ず決断しなければならないし、原因に合わせた手段を取る必要があります。
実際の現場や世の中の流れを無視した経営は成り立たないので、当然そうするしかないし、弊社のような零細企業でそんなことをすればあっという間に倒産してしまいます。
そうなると、情報を集め分析をするほど「○○のせいで…」という実態が分かってくるので、それに合わせて手を打つしかありません。
そう考えたときにやっと気が付きました。
『「分析」のことを「他責」だと言っている人がいる!』
「○○のせい」と聞いた途端、反射で「他責だ!」と言ってマウントを取る人がいることに。
④「他責」は解決までの「途中経過」
たくさんの人を苦しめる「他責」マウントの存在と、自覚無くマウントする人の多さに気付いてから、「スーパー他責」な自分のことを考え直すと、「他責」状態は分析と同時に「発散」の役割があったのだと思うようになりました。
まじめな人ほど、真剣に取り組んでいればいるほど、失敗は大きな精神的ダメージを負ってしまいます。
そんな時に「自責」でいることは「自ら責める」ことと同じで、より自分を追い詰めてしまい、長い時間をかけないと立ち直れなくなります。
そんな時に「他責」でいることで、失敗の分析をしながら当事者意識を減らし、発散することで、そのショックから自分のことを守っていたのだと気付きました。
⑤「自責」とは「自分のせい」ではなく、「じゃあ自分はどうすべきか」
「他責」状態(分析と発散)の後に「じゃあ自分はどうしたら良かったのか?」と考え始めると、驚くほど冷静に自分を客観視できて、振り返りたくない失敗を再検討することできます。
「この失敗は他の人のせい」だと考えていても、「じゃあ自分が何をしたら問題を解決できるのか?」と考えていくと、「あの時に自分がこうしておけば良かったのかも」「まだできることがあった」と気付いてしまうことになります。
それが本来の「自責」であり、「自分のせい」なんだと思います。
「発散」しているから、冷静でいられるという要因も重要です。
⑥「他責」と「自責」を行ったり来たり…が理想的
「他責」状態を続けると評論家になってしまい、不満ばかりで行動しないので何も解決できず進めません。
「自責」状態を続けても自分自身や周囲の状況を客観視できず、自分を追い詰めるだけになってしまいます。
「他責」を「分析と発散」、「自責」を「対策と解決」だと考えると、どちらかで居続けるのではなく、問題解決プロセスとして二つのポジションを行き来することが大事なのだと思います。
「他責」は「悪」ではありません。
そして、この二つのポジションを自然に行き来できるようになれば、ムダに追い詰められることが無くなり、もっと楽しく仕事ができると思います。
長々と失礼しました。
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