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死をリデサインするオバケたち 〜死を変え今に生きる力を〜

こんにちは
こんばんわ

ともひろです。

僕がその オバケ に出会ったのは数ヶ月前の話

そのオバケたちは実に変なやつらだった。

オバケなのに頭に天使の輪っかをつけてるし
グッドデザイン賞2023受賞してるし
クラウドファンディングで120%の目標達成してるし
死ぬことを考えると生きることにいつながるって言うし
オバケというには若すぎる人たちだった。

これはそんな僕とオバケのお話だ


オバケ登場前

その日は大学の対面授業だった。

授業のテーマは エンドオブライフにつて

平たく言うなら終活についてだ。
死にゆく人とその周りの人たちの死の前後のサポート
私の言葉にするとそんなかんじ。

先生はその研究をしている人で
色々な知識を私たち学生に伝えてくれた。

看取りの歴史や今

その流れや制度

色々なケア

今の日本の看取りやその問題

当事者やその家族、支援者のこと

そんなことを聞きながら
大切なキーワードが出た。

エンドオブライフケアとは死について考えることだ。

死について考える……?

? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?

「死ぬことは当たり前のことそれ以外にあるのか?」

それが僕の最初の考えだった。

疑問で頭がぐるぐるしながら休憩時間が終わり

やつらが来た

オバケが来た

オバケとの遭遇

そのオバケたちは自らをこう名乗った。

「私達はさだまらないオバケだ」

なんだこいつらは

それが私の最初に思ったこと

さだまらない……?
オバケ?
これが団体の名前?

なぞでさらにぐるぐるしながら
オバケたちは言った。

私達は死や生にまつわるさまざまな課題を
デザインのチカラで解決するために活動する
デス・デザインユニット

ん〜よくわからない
いやなんとなくは伝わる
でも死をデザインってなんだ?

続けてオバケたちの自分たちのことを話した

これからの時代は少子高齢化の先にある多死社会
死者が増えて人関わる機会も増えてゆく
本当は誰もが死と隣り合わせで生きているのに
死を遠ざけ続けているのはいつか後悔する

つまり死をタブー視するのではなく
向き合っていく必要がある

ふむふむ

そういう問題があって活動をしているか
そう思った。

いつ誰に訪れるかわからない「死」について
早いタイミングから向き合い考える

それは「残りの人生をどう生きるか」を
考えることにつながる

生と死は表裏一体なのです

なるほどな
死を考えることが必要で
生きることにもつながるのか

オバケたちのミッション

オバケたちにはミッションがあった
それは

生きるためには死を考える必要がある
だからこそ、デザインの力で死への向き合い方を変えて
死を「今を生きる力」に変換する

=死のリデサイン

オバケたちは自分たちの活動を紹介した

これはグリーフケアの商品だ。

グリーフケアとは遺族の喪失による嘆きを
受け入れ、立ち直り、成長し
そして希望を持つことができるように支援することだ

これらの商品はそのグリーフケアを
もっと身近にするために「新しい弔いのカタチ」
として生まれた商品だ。
(商品リンクは最期にまとめて載せます)

ひきだしノート

前半の故人のことを思い出すワーク
後半の自分にフォーカスを当てるワーク

2つを通してこれまでとこれからを考えるノート

ソラがハレるまで

空ボードは私たちの心
心のもやもやという雲を
ゲームを進めて晴れにしていく

もやもやした気持ちがみんなと語り合うことで
晴れていくのをゲームを通して体験する。

雲もなか

葬儀用品メーカー三和物産と共同制作したもの

49日って何のためにあるか?
その問から生まれた商品

故人を想う全ての人が「色」で故人への思いを表現
故人を想うそれぞれの弔いの時間を過ごすことが
できるようになってほしいという思いから生まれた。

デス・スナック

死について語り合う場づくりとして
オバケたちが開催しているのが
デス・スナック

死を語るというタブーを変えるために
死へと向き合うきっかけをつくる
生死観をカジュアルに語り合える場だ

オバケたちが考える生死観とは

「何歳で死にたい?」
「最後の晩餐で何食べる?」
などの具体的な問いから死について考えることで
「どのように生きていきたいのか」という人生観のこと

そのためには普段から自分の死について
カジュアルに明るく考えたり語ったりする場が
必要だと考え始まったそうだ。

その世界観に没入するために

さんずのかわマット
天使輪カチューシャ(オバケの仲間入り)
推定死亡年齢カード
オリジナル戒名

とてもユニークな仕掛けがある。

さだまらいオバケ

最後にオバケたちは自分たちを
なぜさだまらないオバケと名乗っているのか
それを語り始めた。

誰かを亡くした悲しみを抱えた当事者とそうでない人
この2つに線引きをしてカテゴライズすることは
簡単ですがそこにはどちらのカテゴリーからも
こぼれ落ちる人が出てくる

大切な人を亡くし悲しみにくれている人
古くからの友人が亡くなったことを
葬儀が終わった後に知る人
自分の死が訪れるのがどうしようもなく怖い人
どんな人もさまざまな形の
グリーフ(嘆き)を抱えている

私たちは、その名の通り、さだまらなさを肯定する
さだまらないオバケでありたい

さまざまな形のグリーフに優しく寄り添い
当事者・非当事者といった境界をぼやかすような
そんな活動を今後も続けていきたい
(さんずのかわを行ったり来たりできるオバケのように!)

オバケが去ったあと

さだまらなさを肯定するオバケたちに
私は生きることを考えさせられた。

そして生きるために死も考えている。

不思議な感覚だ。

生きるために死ぬことを考えるなんて

その時やっと分かった

エンドオブライフケアとは死について考えること

死ぬだら終わりだけど
その死ぬまでにどうしたいか
どう死にたいかを考えて
今を生きること

それが私の答えだった。

まさかオバケに感謝する日がくるなんてね
生きてると何があるかわかんないもんだ。

死を考えて今を生きる私はもう立派なオバケだ
そう思って笑った

先輩オバケより


お前もオバケにならないか?


(某鬼みたい)

死を考えることは生きることにつながる

それは今までに何度でてきた。

それを考えるきっかけをくれた
さだまらないオバケにはとても感謝をしている。

生きるという意味合いが私の中で変わったからだ

それに私が今noteを書いているのも
オバケたちの影響もある。


私は私のやりたいことを
生きる理由を死から見つけることができた。

だからそれをあなたにも知ってほしい。

そしてさだまらないオバケを知ってほしい。

そのきっかけになれば嬉しいです。


ぜひオバケとなったあなたと
出会える日を楽しみにしてます。

オバケのリンク

公式ホームページ

公式note

公式X

公式YouTube

商品

ひきだしノート

ソラがハレるまで

雲もなか
2025/01/31現在 売り切れ


ここまで読んでくださりありがとうございます。
それではまたどこかで。


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