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誰かが体験した奇談。其三 『怪談の正体』

叔父が語る『怪談の正体』

叔父は昔、児童文学の作家たちと親しくする機会があったそうだ。児童文学といってもどちらかというとSF寄りの話を書いている作家たちだったということだ。
そんな叔父に怖い話ないかと聞くと、にやりと笑って怪談の正体を知りたくないかと話し出した。

叔父は語る。
昔は、週刊誌のマンガの本には読み物があった。
マンガも好きだったが、そういう読み物も好きだったんだ。
夏になると、いつも怖い話が載っていてね。
全国各地の怪談というものも載っていた。私が住んでいたところの怪談もあった。

それは四月のある日に、戦で負けた戦国大名が現れるというものだった。たくさんの首のない兵士たちが町中を練り歩く。中でも戦国大名は馬に乗って走り回る。
戦国大名は戦に負けて、城の中で妻や子を殺した後、腹を十文字に裂いて自害したといわれている。そして、80人の臣下がそれに続いて自害した。その霊が練り歩く。
町の人はその日は門を閉ざし、雨戸を閉めてやり過ごす。もし、その姿を見ようものならたちまち死んでしまうという。
子供のわたしが引っ掛かっていたのはそこだった。
死んでいるのになぜその武将を見たと言えるのだろう。

「見た人がすぐに死んでしまうのなら、なぜそんな話が残っているんでしょうね」と作家たちの飲み会で聞いてみたんだ。
すると作家のひとりがこういった。
「あれはね、私が作ったんだ」
「えつ、作ったんですか」
「そう、書いたの。編集部に頼まれて。だから、みんな嘘だよ」
そういって、年配の作家はぐっとお酒をあおったね。
UFOだの、お盆に海に入ると子供の手で海に引きずり込まれるとかの話を編集部の企画で書いたという。作家たちはいろいろ勉強もしていたし、海外の珍しい話にも強かったから重宝され、作家は原稿料が手に入る美味しい仕事だったのだ。
「怪談の正体なんてこんなものだよ」
その作家はとろんとした目で言った。

調べてみると、怪異を集めた江戸時代の文書にその元となる話は見つかったんだ。しかし、たちまち死ぬとというの作家の創作だったらしい。でも、この前テレビを見ていたらアナウンサーがその話をしていて、やっぱり死ぬ話になっていたよ。どうして作られたほうの話がいまだに残っているのかのほうが不思議だったよ。

そういえば、福井県の東尋坊近くの雄島を左回りにまわると死ぬというのもテレビの捏造だよと叔父は笑った。
地元の怖い話がテレビで紹介されるというので、地元の人が放送を見て大笑いしたという話だ。知り合いなんか、それだったら何度死んでいるかわからないと話していた。そして、地元民の証言として映し出された人は、土地の人も見たこともない人だったそうだ。

叔父は楽しそうに笑った。
そのテレビが放送されてから、何十年もたつ。戦国武将の話なんか50年以上だ。
でも、なぜそんな話が生き残って、今でも時折現れるのか。
雄島の話など、観光客が話しているのをたまたま聞いたことさえある。元ネタを知らないのに。
そして、それが現実にあったこととして受け入れられている。
そっちのほうが恐ろしい話じゃないかと叔父は言う。

文字として書かれた怪談は、本当にあったこととして生きているのではないか。いや、現実に起きてしまうのではないか。そういう力が生まれてしまうのか。

「怪談は生きている気がする」
叔父はそう言って静かに笑った。


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