まっちBOX Street 11 掌編小説
まっちBOX Streetという掌編について
1995年から2001年まで、福井県の無料自動車情報誌に連載していたものです。
当時のデータがあり、そのままの形で転載します。だから古い車やタバコ吸っていたり、スマホじゃなく携帯だったりしますが、そのままお楽しみください。
73編あるのでぼちぼち公開します。
No11 洗車日和
ブルージーンズにお古のトレーナー。いつもの洗車スタイル。髪は後ろで束ね、化粧はしない。
幸江がその格好で朝ご飯を食べていると、母親がいつものように愚痴を言った。
「女の子なんだからね。化粧くらいしなさいよ」
「いいの。車を洗いに行くんだから」
母は、決まってため息をつく。
「男の子じゃないんだから。ボーイフレンドを作る方が先じゃないの?」
「んー。仕事が忙しいからね」
誰かの顔がふと浮かんだ。でも、なんだかわずらわしいのだ。
「そんなんじゃいきそびれちゃうよ」
「はいはい。わかってますって」
今朝は好きなワカメの味噌汁だった。これで洗車ができるなら、今日はいい日に決まっている。
「ん。お漬物がおいしい」
幸せならばいいのだ。
いい天気だった。抜けるような青空とはいえないが、車を洗うにはちょうどいい日だ。風が心地よい。汗がふっと消えていくような感じ。空気が白く輝いている感じがする。
週末に洗車をするのは、カーテンやシーツを洗うのと同じくらい気持ちがいい。何しろ相手は大きいのだ。洗いがいがある。
OLだってストレスは溜まるのだ。お酒を飲んだり、カラオケをしたりするのもいいが、幸江の場合は洗車が一番だった。普通の洗濯しかできない雨の週末は、ちょっと物足りないけど今日は違う。
愛車のトッポに洗車道具一式を積み込む。といっても、たいした物はない。カーシャンプーにワックス。傷とり用コンパウンド。台所の洗剤と霧吹き。洗車ブラシに歯ブラシ。小さい掃除機と、古いTシャツが何枚か。それをポリバケツにほうり込む。
洗車場はいつも利用しているガソリンスタンドだ。いつでもどう
ぞという所長さんの言葉に甘えている。
コインをいれる洗車場は、なんだか落着かないのだ。機械に弱いせいもあるけれど、自分の手でせっせと洗うにはガソリンスタンドが一番という気がする。
「いらっしゃいませ!!」
スタンドマンがにこにこと笑いながら走ってくる。
「レギュラーですか。ハイオクですか。給油口オープンお願いします」
「ごめんね。また、場所借りれるかしら」
カードを渡しながら、彼女がいう。
「いいですよ」
スタンドマンが明るく言う。だからスタンドっていいと思う。こっちまで元気になれそうな気がするのだ。
うわさによると、彼女はここにいるらしい。それも晴れた日の午前中だ。忠幸は、3回ほどうわさのガソリンスタンドの前を通り過ぎた。
『バイトしているって言う噂だけどね。なんでも、車をあらってるらしいよ。気になるなら行ってみろよ』
そう言ったのは、同期の吉村だ。目撃したから間違いないというのだ。
どうやら、奥の方にいる女の子がそうらしい。会社で見ている彼女と違って、なんだか生き生きしている。
4回目に忠幸はスタンドに黒いインテグラを入れた。
「あの、ちょっと聞きたいんだけど。あそこで車を洗っている人。店員さんなの」
「いいえ。お客さんですよ」
ガソリンを入れている店員が不思議そうな顔をした。
「知り合いに似ているものだから‥」
「そうですか。洗車が趣味って言う方で」
間違いなく彼女だった。ほとんど洗車は終わっているようだった。薄く薄くワックスを掛けている。
一カ所ワックスを掛けると、その前に掛けた所を拭きあげる。滑らかに、タオルが動いていた。
「彼女、化粧しない方が美人だな」
忠幸はつぶやいた。
「はいOKです。どうですか、一緒に洗車されては」
振り返ると店員が、カードを差し出していた。
「ふうん。なれたものだね」
思わず振り向いた。
「前田君。どうしたの。近くだっけ」
「まあね」
彼は、頭をぽりぽり掻いた。
「佐藤さんの車っていつもきれいだから。どうしてるのかなって」
「洗車が趣味なの。変でしょ」
古いシャツでワックスを拭き取る。薄く塗ってあるから拭き取りもらくだ。シャツが、車の上をするりと滑っていく。その感触がたまらなくいい。
「俺ならコートしてあるから、洗車機に入れちゃうけどな」
「まあ、それでいい人はいいけど」
ワックスはほぼ完了だ。後は、窓ガラスに雨をはじくコーティング剤を塗り込んで、乾くまで中を掃除する。
「化粧してくれば良かったな」
幸江はふと思った。
彼女はとても幸せそうだった。
ちいさな掃除機で黄色いトッポの中を、懸命に掃除している。途中、店員がスタンドの大きなバキュームホースを貸していた。
スタンドは、24時間営業のわりと大きなところだ。お客がひっきりなしにやってきては、店員が駆けてゆく。忠幸は、それをぼんやりと眺めていた。
休憩室の前には大きな特撮ヒーローの人形がある。子供たちが、それをみあげながら声を上げる。中では子どもの親がジュースを買っている。これからどこかへ行くのだろう。
「彼女のお知り合いですか」
いきなり声をかけられた。
「ええ。会社の同僚で」
スタンドの所長が笑いながら立っていた。
「いつも利用していただいてるんですよ。タイヤの脱着、オイル交換、ラジエターのクーラントのチェック補充、オートマオイルの交換までさせてもらってます」
「でも、スタンドってなんだか高いし、いまいち信用がねぇ」
忠幸は軽く咳払いをした。つい口が滑ったのだ。
「私たちだって、勉強してますから。ほかのところはどうか知りませんけど」
所長は別に気にもしていないようだった。
「それに、うちのオイルは高性能なんですよ。宣伝がたりませんけどね。サービスはどこよりも負けません。ガソリンだけの時代じゃありませんから」
「ごめんなさい。悪口をいうつもりじゃ」
「あっ、そんなつもりじゃなかったんですよ。彼女のお知り合いだったら、洗車でもされたらどうかなって」
所長はにこにこ笑っていた。
「というわけで、洗車します」
忠幸が言った。
「はあ。どうぞ」
幸江が言った。ほかにどう答えたらいいのだろう。
「それでお願いがあるんだけど」
「はあ。なんでしょうか」
「洗車道具を貸してもらえませんか」
彼女は、首をかしげた。
「その、予定があるのならいいんだけど」
「いいわ。貸してあげる」
忠幸はほっとした。
「それじゃ、ちょっと待っててくれないかな。お礼にお昼をごちそうするよ。さっさとすますから」
彼女はおかしそうに笑った。
「あたし、化粧してないし……」
「そんな。充分きれいだとおもうけど」
「でも、このかっこうじゃね」
「いいとおもうけど。それじゃ、ドライブスルーのハンバーガーでも」
「それでいい」
彼女の機嫌はすこぶるいいようだった。会社では見たことのない笑顔だ。
「じゃ。はじめようかな」
「その前に、コンパウンドが必要みたい。よく見ると傷だらけだよ」
「え? コンパウンド?」
「コートは取れちゃってるみたい。コンパウンドで塗装面をととのえてからね」
「なるほど」
彼女は忠幸に微笑んだ。
「どうせなら、ちゃんとやろうよ。手伝うからさ」
「サービスのし過ぎじゃないんですか」
若いスタンドマンが所長にささやいた。
「見りゃ分かるだろ。あの男の子は、あの娘にほれてるよ。絶対」
「またぁ、おせっかいが過ぎるんじゃないですか」
「大丈夫。サービスが売り物のガソリンスタンドだぞ。ここは」
彼女がホースで車に水をかけていた。
水しぶきが、小さな虹をつくる。その向こうで彼が笑っていた。
No11 洗車日和 1996年5月
車の車種は気にしないでください。タントとマツダ2でもいいんです。
なんだか、こんなガソリンスタンドは無くなっちゃいましたね。昔はこんなスタンドよくありました。そして、洗車好きも。
昭和なんて、磨きすぎるんじゃないのってくらい洗車している人いましたよ。毎週磨いてる。(笑) 今は、ずいぶん楽に洗車できます。シュッシュッでコートなんかかかっちゃいますもんねぇ―。
でも、この話、書いた本人がいうのもなんだけど好きなんです。どの話を覚えてますかと聞かれたら、不思議とこの話だったりします。