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4 皇軍と赤軍 〜日本軍とソ連軍のあり方を考えてみる〜

 戦時中、私は対ソ連戦にそなえて労農赤軍(この言葉がよく出て来た)の教典を勉強した事がある。その時、ソ連軍では将校は兵に対して射殺があることを知り驚いた。将校は誰でも判断一つで公然と兵を殺せる事に何か不気味な怖さを感じたものだ。

 ところで終戦後、北朝鮮から引き揚げて来た近所の人に次の様な話を聞いた。彼が居た北朝鮮の町にソ連軍が進駐して来た時、彼の知り合いの娘さん(日本人)がソ連兵に暴行された。彼女は泣き寝入りせず司令部か何所へ訴えて出た。すると直ちに全員が町の広場に集められて面通しが行われた。そこで犯人を見つけて指摘すると、指揮官はその犯人を前に引っ張り出し、その場で射殺した。その光景を彼を含めて多くの民間人が見ていたそうである。

 日本軍にはそんな無茶な射殺権は無かった。しかし殺された兵士がいた。私が比島の山中を米軍に追われて逃走していた時である。日本軍は皆、茂みの中に隠れまわっていたのだが、或る時突然の様に、『米軍機は音波探知器を持っていて、音を出すと直ちに攻撃して来る』と云う噂が広まった。特に金属音は探知され易いと云う事だった。それまでこんな話は全然なかったのに、通信連絡が途絶えてから米軍の新兵器が判るのもおかしいし、エンジンやプロペラから色んな音を出している飛行機から地上の僅かの音を探知出来るのも変だと思ったが、そんな事を云える雰囲気ではなかった。初めは敵機が上空にいる時だけ静かにしていたが、よくある様にこれがエスカレートして、殺気立った連中が常時牽制して廻る様になった。そして唯自分の安全を守るのに汲々としていた。そんな或る日、二十人程の部隊が休んでいる前を一人の疲れた敗残兵が通りかかったが、彼の水筒と帯剣がカチカチ音を立てていた。するとそこの隊長が飛び出して怒鳴りつけるや否や軍刀を引き抜き一刀両断のもと斬り殺してしまった。その直前、私はこの現場を通ったのだが、後から来た目撃者からその模様を聞いた。

 さて、日本とソ連ではどの様な兵士がどんな動機で殺されたかを論評する積りだったが、考えてみるとこれだけの例で云々するのは軽率の様だ。だからここには唯二つの事実を挙げるだけにしておこう。

(第4号 昭和五十二年・1977年 六月十八日発行)


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