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④【認知症】でも大丈夫!と思えるかもしれない話(後半)

実習6日目。重度認知症フロアに初めて入った。明らかに前日までのフロアとは違う空気が流れていた。自分にあまり関心が向いていない様子が伺えた。「はじめまして!」とあいさつすると頷いてくれる方が数名。あとの方は無反応に感じた。
不安で一杯になったが、無理やり大丈夫だと思うことにした。講習で学んでいる。話せなくなっても心や感情は保たれていると。

幼稚園の先生だった方の横に座った。顔が歪んだように見えた。何を話しかけても反応がない。職員さんから、その元先生は話せないと教えられた。怒りの感情が強いとも聞かされた。私は覚悟を決めて、反応が無くても話続けることにした。微かな顔の動きと手の動きで、邪魔だと思われているのが分かった。

7日目。食事の介助に入った。口が開かない方だった。職員さんは、口の左側が少し開くからそこからスプーンを入れて食べさせてと言っていた。なんだか心が痛んだ。その方は食べたいのか食べたくないのか私には分からない。もし食べたくないと思っているなら、無理やり口にスプーンを突っ込まれ食べ物を押し込まれるのはどんなに辛いだろう。
午後から入浴介助を見学した。全介助のその女性は手も足も動かないので、お風呂用の車いすで入浴する。男性職員2名が介助に当たっていた。浴室に入った時に、動かないはずの女性の両腕が微かに動いた。右腕は胸へ、左腕は下へ。あとで女性職員さんから、その方は男性職員が介助に入ると恥じらいからそうなることを聞いた。なんて辛いのだろう。異性にお風呂に入れてもらう恥ずかしさ、思うように手で隠すこともできない辛さ、その思いを言葉で伝えられないもどかしさ。
介護の現場は人手が足りていない。同性介助が良いことは当然理解していても、現場ではそれが叶えられないこともある。せめて必要以上は見えないように恥ずかしい思いをしなくてすむように、タオルを掛けてその伝えられない気持ちを汲むことを教えられた。

8日目。その日も食事介助に入った。その方は、前日介助をした方と同じく口が開かない。そのうえ口に隙間も開いていない。困り果てていると職員さんが、真正面50~60cm程度離れた所でスプーンを構えて、段々と口の方へ近づくようにと教えてくれた。やってみると、ぱかっと大きな口を開いてくれた。横から差し出しても視界に入らなかったのだ。食べたくない訳ではなく、拒否でもなく、見えていないだけだと分かった。

元幼稚園の先生には毎日話しかけていた。返事は無くてもきっと届いていると思い話し続けた。9日目、職員さんからある曲は歌えることを教えてもらった。元幼稚園の先生に歌ってくれるようにお願いすると、今まで全く話さなかったその方が歌を唄いだした。

実習最終日。元幼稚園の先生に話しかけていた時の事。私は自分の名札を指さして、「私の名前分かりますか?」と聞いてみた。
「○○」と読んでくれた!
漢字で書いてある名前を、言葉にして言ってくれた。職員さんも驚いた様子だった。表情も初日に比べれば柔らかくなっている。私の気持ちが伝わったのを感じた。

実習6日目〜最終日 重度認知症フロアでの話。

身体介助を必要とする人は、身体の介助がないと生きていけない。
心の介助を必要としている人には、心の介助がないと幸せだと感じる事ができないのではないか。
家族の介護をしている人の心も、介助を必要としている。どうしようもなく一杯いっぱいになる時がある。
介護職の人達も毎日、大変な業務に当たってくれている。そんな人達の心と身体も大切にできる社会になってほしい。

それが叶えられた時に、認知症になっても幸せだった。認知症を患った人が家族にいても大丈夫!と思えるかもしれない。



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